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参照用 記事

村上和雄さんのSomething Greatは誤用・悪用されかねない

電車の中刷り広告で見た「科学万能主義が人間を劣化させる」(雑誌「WEDGE 2006 12月号」)という記事が気になって読んでみました。

うーむっ、やっぱり。水の詐欺師・江本勝さんが欣喜雀躍<きんきじゃくやく>しそうな文言のオンパレードです。

教育でも、目に見えないものや分からないことが存在すると教えないまま、知識を植え付けるばかりです。でも、生命も心も、目に見えないでしょう? それが不思議で尊いことを教えていないから、生命を粗末にする生き方が広がっているのです。


科学で解明できないものは信じないとなってしまえば、自然を畏怖することもなく、生命に感謝することもなく、心を敬うこともない。


データによって表にみえるもがすべてだと、考えてはいけない。科学万能主義を脱ぎ捨てて、見えない自然の存在や、見えない人の支えや気持ちを感じる力を取り戻す必要がある。

この記事は村上和雄さんへのインタビューをもとに記者が書いたものらしく、村上さんの真意をどこまで正確に伝えているか疑問です、記者のバイアスも少なからず入っている印象。

まーそうであったとしてもなお、慎重に読めば、村上さんの主張が現代科学と矛盾するわけでないのは明らかなのですが、表層的になぞれば、これはもう、水の詐欺師・江本勝さんへの強力な応援とも取れてしまうのです。実際、江本勝さんは、村上和雄さんのSomething Great(何か偉大なもの、人間を超える力)に著書で言及してました(『水は答えを知っている』P.94)。

自分たちは科学のように装う騙しのテクニックを弄しながら、いざ科学者からの反論に対しては、「現在の科学で解明できることが全てではない」と逃げるわけで、相手のしようがない、ある意味無敵なんです。高名な本物の科学者・村上和雄さんが「科学で解明できないものでも信ずべきことはある」とか「偉大な力」と言えば、そりゃ江本勝さんは飛びつきますよ。なにしろ、アインシュタインの E=MC^2 さえも「エネルギー = 人数×意識の強さ^2」などと珍妙勝手な解釈で利用してしまう(『水は答えを知っている』P.189)江本勝さんですからね。

村上和雄さんがSomething Greatなる概念に到達したのは、遺伝子暗号の巧みさに触れたかららしい、つまり、現代科学の最前線にいるからこそ「偉大な力」を感じられたわけよね。「お水様」だの「きれいな結晶」とは次元が違う! この世界が余りにも精妙に出来ているので、(それをSomething Greatあるいは“神”と呼ぶかどうかは別にして)なにか“猛烈に知的な創造主”がいるに違いない、という感覚を抱く科学者は少なくないようです。

非常におこがましい言い方ですが、僕でさえ、現象や理論の異様なまでの整合性/統一性に途方にくれるくらいな不思議さを感じることがあります。例えば、コンピューティング・サイエンスのカリー化、論理(logic)の演繹定理、代数のガロア対応は、いずれも随伴という定式化を持ちます。これを知ったとき、パズルが解けた、あるいは宝探しの宝が見つかった気分がしたのですが、では、このパズル/宝探しを仕掛けたのは一体誰なのでしょう? 人間は解くのがやっとの巧妙なパズルを創造する能力とはいかなるものでしょう? -- 偶然? まさかっ。

さて、当該記事の冒頭に曰く:

科学万能主義という妖怪が、現代人の中に巣くっている。

全体の論調からすると、過度な物質主義や拝金主義を「科学万能主義」という言葉で括っているようようです。資本主義ベースの社会では物質主義や拝金主義は避けがたいでしょう(過剰なのは困るが)。それは妖怪と呼ぶほどに不気味なもの*1でしょうか? むしろ盲目的な神秘主義、反科学主義による非合理への傾斜のほうがよほど不気味で危険だと思えるのですけど。

最後に念のために申し添えておきますが、村上和雄さんの意見そのものに反対する気は毛頭ありません(共感している)。表層的で安易な解釈に流れないように、例えば次の著書などご覧くださいな。

*1:水木しげる先生の妖怪ならけっこう可愛いです。