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参照用 記事

書評:理工系のための トポロジー・圏論・微分幾何

この本、圏論を主題としたものではないのですが、タイトルに「圏論」が含まれる日本語の書籍は他にマックレーンの本(The Book)しかないような状況ですから、読んでみる価値はありそう、と購入。

これ、一般書籍ではなくて雑誌の別冊なのでISBNは付いていません。

臨時別冊・数理科学 SGCライブラリ 52
   理工系のための トポロジー圏論微分幾何
      ― 双対性の視点から ―

   定価1980円(本体価格1886円+税) 谷村 省吾著 


著者・谷村省吾さんは物理学者で、趣旨としては、物理の基礎知識として「トポロジー圏論微分幾何」を解説するというものでしょう。サブタイトルは「双対性の視点から」 -- 実際、双対性への言及が頻繁に登場します。(それでも双対性ってよくわからん、って気もするが。)

冒頭で言ったように、圏論が主題ではありませんが、「第5章 圏論」(分量は37ページ)を中心に紹介し、気付いたことなどを付記します。このような(第5章をお目当てにした)読み方は、著者が想定したものとは違うでしょうね -- 従って、見当違いな書評かもしれない、と注意しておきます。

内容:

まず「第5章 圏論」から

最近書いたエントリー内で、僕は次のように述べました。

従来、圏の事例というと、集合と写像の圏、位相空間連続写像の圏、アーベル群と加法的(線形)写像の圏などが引き合いに出されていました。これらの例を僕は個人的に“重い圏”と呼んでいます。[…省略…] 物理学やコンピューティング・サイエンスでも圏が常用されつつあるご時世に、初っぱなにこんな重い例を出すのはイカガナモンでしょうか。

この本の例は“重い圏”中心です。離散圏と順序集合(圏とみなす)も例に出していますが、登場する主な圏は:

僕は“最小限の準備で圏に慣れる”ことを目的に考えているので、“重い圏”を避けたいのですが、この本における第5章の目的/位置づけから言うと、重い圏が中心になるのは当然です。その目的とは、ホモトピー(第3章の話題)とホモロジー(第2章の話題)を整理して、線形代数の一部(テンソル積、第6章で使う)をきれいに導入することです。

圏論プロパーな話題としては、関手と直積・直和が解説されています。事例や比喩をふんだんに使った丁寧な説明です。特に、「5.9 部分集合の圏における直積と直和」は、圏論的概念を順序構造に適用するとどうなるか、を印象的に示しています。

関手は導入してますが、自然変換までは定義していません。このため、関手の自然同値や圏同値の概念は使えないことになります。分量(ページ数)的に難しいのはわかりますが、圏・関手・自然変換の三つ組みでワンセットと考えている僕としてはやや不満が残ります。(と、「はじめての圏論」で、関手の導入さえやたらに遅らしている僕が言うのもナンだけどね。)

随伴(adjunction, adjoint)には言及してませんが、「5.6.6 加群の生成関手と忘却関手」で事例を説明しています。忘却関手に関してチャント説得的に説明しているのはいいですね。

第5章の最後の7ページは線形代数に充<あ>てられています。「5.10 テンソル積」の説明です。これは必ずしも圏論を使う必要はないのですが、圏論の枠組みだとモダンな展開ができます。それと、それまでの例のなかでベクトル空間の圏を扱っているので、その蓄えを使わないのもモッタイナイしね。

「第3章 ホモトピー」と「第4章 ホモロジー

代数的位相幾何学のショートコースです。ここを読んでおかないと、関手の主たる例(第5章)であるホモトピー関手(位相空間の圏→群の圏)とホモロジー関手(位相空間の圏→加群の圏)が理解できません。「圏論のために代数的位相幾何学を学ぶ」のはあまり賛成できないのですが、代数的位相幾何学がどうせ必要なら、もちろん知っておけば便利です。

この分量(21+42ページ)のコースとしては、なかなかの力作だと思います。直感に訴える図を多用して、厳密性はかなり犠牲になっていますが、具体例の解説が詳しいので、分かった気分になれます。具体例を挙げている3.7節と4.12節をジックリ読むことをお勧めします。

その他の部分

「第1章 内包と外延の双対性」は、集合などの基礎知識の準備ですが、章タイトルの通り、この本のテーマが織り込まれています。読み飛ばさないほうがいいでしょう。

「第2章 位相空間」は一般トポロジーの説明。普通に開集合ベースの定義ですが、距離や収束のハナシもなしで、いきなり開集合で位相を導入されても面食らうのでは? この本では多様体しか扱わないので、ユークリッド空間の開集合/閉集合、点列収束を使った連続性くらいで済ましてしまう手もありそうですが、バランスの取れた短い説明は難しいですね。

「第6章 微分幾何」は、多様体コホモロジーの入門で、微積分の延長という感じです。計量やテンソル計算を使ったリーマン幾何ではありません。

最後の「第7章 物理への応用」は電磁気学と拘束系の力学。どちらも、それまでに準備した道具を使った鮮やかな定式化で、泥臭い手法で学んだ人には“目から鱗”かもしれません。*1

オシャベリが有益で楽しい!

圏論のショートコース・テキストとして使うのはちときびしいですが、直感的理解を促す図とイメージ豊かな日本語表現、概念/アイディアの背景やココロを伝えようとする姿勢にはとても好感が持てます。興味がある所だけ拾い読みもよいでしょうが、次に挙げるオシャベリを飛ばすのはモッタイナイですよ:

  • まえがき
  • 1.5 外延と内包
  • 1.6 双対性
  • 2.8 図形と計量の双対性
  • 2.9 変換と不変式の双対性
  • 4.4 名前と文脈と意味
  • 4.13 位相不変量としてのホモロジー群:測定とは何か
  • 7.4 双対的世界観

「2.7 次元」はちょっとあらずもがな、「3.10 ポアンカレ予想」はほんとにティーブレイク。

注意した方がいいこと

記号法や用語法で気になる点が多かったのですが、誤解を招きそうなところだけ指摘します。

「5.7 直積」(139ページ)で、fとgから定まるペアリングを「f×g」と表記してますが、通常 f×g は別な意味で使います。ペアリングの標準的記号は <f, g> です。集合圏では次のようになります。

  • <f, g>(a) = (f(a), g(a))
  • (f×g)((a, b)) = (f(a), g(b))

「5.6.3 ベクトル空間の圏における双対関手」「5.6.5 内積空間の圏における随伴関手」で使われている「双対関手」「随伴関手」という言葉は、(著者が意図している意味で)使うのは問題があります。特に「随伴関手」はまったく別な意味で使われるのが普通です。

著者・谷村さんの意味での双対関手/随伴関手は、スター関手/ダガー関手という概念で多少は代替できます*2。「スター関手/ダガー関手」という用語が広く普及してるわけではありませんが*3、定義を述べておくと:

  • 自己関手(endofunctor)F:C→Cがスター関手とは、反変であり F;F = IdC(イコールを自然同値とすればより正確)。
  • 自己関手(endofunctor)F:C→Cがダガー関手とは、スター関手であり、対象に対しては恒等になっている(idenity-on-objects)もの。

ベクトル空間の双対/随伴は、それぞれスター関手/ダガー関手の実例ですね。

まとめ

あまり細かいことを言わずに手っ取り早く多様体上の解析学を学びたい、ついでに圏論の“重い”例も知りたい、といった目的ならとてもよいテキストだと思います。(細かいことを言わない代わりに、参考文献のところに詳細や厳密なことは「どの文献を見るべきか」の案内があると良かったかな。)

まえがきの、

私は,トポロジー圏論微分幾何学は,素人には近寄りがたい「高級な数学」ではなく,この世界に生起する出来事を語るためのとても自然な言語であり,これを自分の言葉として活用できるようにしておくと,いろいろなことが生き生きと見えてきて楽しいですよ,ということを伝えたいのである.

は達成されていると思います。

*1:泥臭いところを飛ばして、カッコイイ方法から入ると、結局は理解できないままかも。その実例が僕です。

*2:谷村さんの双対関手/随伴関手は特定の関手を指します。それに対して、スター関手/ダガー関手は関手の種類なので、単純に置き換えはできません。

*3:ダガー関手(単にダガーということが多い)はピーター・セリンガーの提案、スター関手(単にスター)はJ.P.メイなどの用法ですが、実はメイ本人はダガー関手の意味でスターを使っています :-< 。他に、スターをdualityとかdualizerと呼ぶ人もいます。