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参照用 記事

圏論的確率論におけるCタイプとAタイプ

マルコフ圏 A First Look -- 圏論的確率論の最良の定式化」にて:

比較的最近、フリッツ〈Tobias Fritz〉は、確率と統計を圏論的かつ統合的〈synthetic〉に扱うための枠組みとして、マルコフ圏〈Markov category〉を提案しています。

...[sinp]...

統合的〈synthetic〉が何を意味するかを短く説明するのは難しいので、機会があれば別な記事にします。

今日のこの記事で、統合的〈synthetic〉が何を意味するかを説明します。さらに、話題をもう少し広くして、圏論的確率論〈categorical probability theory〉を、2つのタイプに分ける話をします。

内容:

CタイプとAタイプ

一口に圏論的確率論といっても、多くの理論が発表されています。それらの categorical probability theories を、二種類に分類してみます。ひとつめは Constructive/Concrete な圏論的確率論、ふたつめは Axiomatic/Abstract な圏論的確率論です。前者をCタイプの圏論的確率論、後者をAタイプの圏論的確率論と呼ぶことにします。

Cタイプの圏論的確率論では、具体的に構成された確率的圏〈stochastic category〉を相手にして理論を展開します。確率的圏が何であるか、厳密な定義はありません。今までに提案された幾つかの圏を総称して確率的な圏と呼んでいるだけです。

誰かが新しく圏を定義したとき、それが確率的圏かどうかを判断する正確な基準はありません。が、ゆるい合意はあります。確率的圏の作り方には処方箋があって; 可測空間の圏(これにも色々ある)上にジリィモナドを構成し、そのジリィモナドのクライスリ圏が確率的圏です。場合により、部分圏をとることもあります。そうやって作った確率的圏の実例を挙げましょう。

可測空間の圏 確率的圏
Meas Stoc
SBorel SBorelStoc
CGMeas CGStoc
FinMeas FinStoc

他にも確率的圏はありますが、この4つがよく出てくる確率的圏です。Stocは、ジリィ自身が定義したオリジナルの確率的圏です。現在知られているほとんどの確率的圏は、Stocに部分圏として埋め込めます*1。大ざっぱで多少不正確ですが、Stocの部分圏が確率的圏だと言ってもいいでしょう、だいたいは。

もう一方のAタイプの圏論的確率論では、具体的な圏達が主題ではありません。先ほど「確率的圏が何であるか、厳密な定義はありません。」と言いましたが、確率的圏の厳密な定義を与えることがAタイプの圏論的確率論の目標(のひとつ)になります。「マルコフ圏 A First Look -- 圏論的確率論の最良の定式化」で紹介したマルコフ圏は、確率的圏の厳密な定義への第一歩と言えるでしょう。最終的には、「確率的圏とは、コレコレこういう性質を持つ(公理を満たす)圏だ」と規定したいのですが、おそらく「確率的圏とは、マルコフ圏であり、それに加えてコレコレこういう性質を持つ(公理を満たす)圏だ」となるでしょう。

Aタイプの圏論的確率論は、ゴルブツォフが1990年代に先鞭をつけたとはいえ、まだ新しく、理論自体も応用もまだこれからです。現時点の状況は、フリッツの論説でだいたい押さえることができます。

測度論との関わり

フリッツのキャッチフレーズ"probability theory without measure theory"〈測度論なしの確率論〉は、Aタイプの圏論的確率論の特徴を端的に表現しています。確率的圏(の候補)は、圏論の言葉だけで定義されます。例えば、マルコフ圏Cは次のように定義されます。

  1. Cは対称モノイド圏である。
  2. Cのモノイド単位対象は終対象になっている。
  3. Cには、余可換コモノイド・モダリティ*2が備わっている。

これらの特徴は、代数的な(等式的な)公理系で記述されます。測度論は一切出てきません。驚くことに、"almost surely"のような測度論固有と思われる概念も等式的に定義しています。

Cタイプの確率的圏論では、ベースとなる圏が可測空間の圏です。ジリィモナドは、“確率測度全体の空間”により定義されます。測度論なしでは何もできません。しかも、だいぶ難しい測度論が必要です。“確率測度の全体の空間上に載る確率測度”のような高階の測度論的概念や、測度の disintegration〈崩壊? 脱積分? よく分からない〉のようなあまり聞いたことがない概念も出てきます。

Aタイプの確率的圏論でも、具体例では測度論を使います。具体例はCタイプで定義されるものですから。また、公理的に定義した圏が存在することを示すには、具体例を構成せざるを得ません。構成の過程では、難しい測度論的議論をするかも知れません。Cタイプの圏論的確率論により実例が担保されない限り、Aタイプの理論は虚しい理論になってしまいます。

統合的 vs. 分析的

今までの話をまとめると次のようになります。

Aタイプ Cタイプ
公理的(A) 構成的(C)
抽象的(A) 具象的(C)
代数(A)ベース 測度論(Mだった)ベース

代数ベースとは代数演算を含む等式的計算が主体ということです。実際には、テキスト等式ではなくてストリング図と絵算が使われます。測度論ベースでは、積分計算が主体になります。

フリッツは、Aタイプのアプローチを統合的〈synthetic〉とも呼んでいます。分析的〈analytic〉の対義語ですね。個別の対象物を分析するよりは、対象物全体の特徴を俯瞰的に捉えようとするアプローチだからです。そしておそらく、"analytic"を解析的と解釈して対義語でもあるのでしょう -- 測度論・積分論は解析に含まれますから。統合的アプローチは解析学を使わないのです。

ところで、統合確率論〈synthetic probability theory〉を標榜している人が(フリッツ以外に)もう一人います。シンプソン〈Alex Simpson〉です。シンプソンの名前は何度か出したことがあります。

シンプソンはあまり論文を書かない人で、統合確率論に関して口頭発表のスライドしかありません。

フリッツとは違って、トポスを使ったアプローチのようです。おそらく、以前からシンプソンが言っている確率層〈probability sheaf〉をモデルにした層トポスを扱うのでしょう。スライドだけ見ても謎ですけど。

僕のタイプはAタイプ

Cタイプの圏論的確率論が対象とする圏はほんとにイッパイあります。可測空間の圏や可測空間類似物の圏が色々あり、ジリィモノイドの変種もイッパイあります。あんな圏やこんな圏を渡り歩いたり比べてみたりと、博物学・地理学的な様相を呈します。

博物学・地理学は苦手だなー。他にも、Aタイプの圏論的確率論には僕の苦手なものが現れます。

  1. 博物学・地理学的な記憶力がない。
  2. 測度論は難しいし、積分計算は苦手。
  3. 有限離散の場合の算術的・組み合わせ的計算も苦手。

一方:

  1. 公理的アプローチには割と慣れている。
  2. ストリング図と絵算は好き。
  3. 手っ取り早く応用したいなら、むしろ公理的・代数的なほうがありがたい。

というわけで、檜山はAタイプ指向〈志向 | 嗜好〉です。

*1:例外もあって、準ボレル空間の圏上に作った確率的圏であるQBorelStocStocを含むより大きな圏のようです。"A Convenient Category for Higher-Order Probability Theory"参照。

*2:最近、フォング〈Brendan Fong〉とスピヴァック〈David I. Spivak〉は、モダリティをサプライという名で再定義しています。"Supplying bells and whistles in symmetric monoidal categories"参照。