一昨日某所にて、「微分計算は、線形性とライプニッツ法則があれば OK」みたいな話が出ました。これがウソではない傍証として、とある状況において、ライプニッツ法則を満たす線形作用素は、我々が知っている「あの微分」に限ることを見てみましょう。
内容:
シリーズ目次:
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相対可換環の導分
議論を代数的に行うので、代数的な概念を幾つか導入しておきます。
KとAは可換環とします。'K'と書くと体のような感じがするでしょうし、実際にKが体の場合が多いのですが、「体である」とは言ってません、可換環です。ここに、可換環の準同型写像 σ:K→A があるとき、これらの組 (K, A, σ) を相対可換環〈relative commutative ring〉と呼びます*1。
習慣により、相対可換環 (K, A, σ) を A/K と書きます*2。スラッシュは商をとっているわけではなくて、"A over K" と読みます。このスラッシュには要注意! σ:K→A は、建前としては単射とは仮定していません。でも、単射でないときは K/Ker(σ) (今度のスラッシュは、イデアルによる商)を新たにKと置いて、σは単射と仮定してもかまいません。つまり、K⊆A とみなしていいわけです。K⊆A であるなら、r∈K に対して、σ(r)∈A を単に r と書いても同じですから、そう書きます(若干、混乱の危険がありますが)。
さて、写像 D:A→A が、A/Kの導分〈derivation〉だとは、次が成立することです。
- Dは、Kに関して線形である。
- a, b∈A に対して、D(a + b) = D(a) + D(b)
- r∈K, a∈A に対して、D(ra) = r(D(a))
- Dは、ライプニッツ法則を満たす。D(ab) = (D(a))b + a(D(b))
以下、D(a) を Da のようにも書きます。
相対可換環A/Kの導分の全体を Der(A/K) または DerK(A) と書きます。
次に、MをA-加群とします。Aは可換だったので、左加群と右加群の区別をする必要はありません。AがMに(左または右または左右から)作用しているので、KもMに作用し、MはK-加群にもなります。AまたはKによるMへの作用(スカラー乗法)は、ドット'・'で書くことにします。
写像 D:A→M が、A/KのMに値を持つ導分〈derivation〉だとは、次が成立することです。
- Dは、Kに関して線形である。
- a, b∈A に対して、D(a + b) = Da + Db in M
- r∈K, a∈A に対して、D(ra) = rDa in M
- Dは、環の乗法(無印)とスカラー乗法'・'に対して、ライプニッツ法則を満たす。D(ab) = (Da)・b + a・(Db) in M
相対可換環A/KのMに値を持つ導分の全体を Der(A/K, M) または DerK(A, M) または DerA/K(M) と書きます。先の「A/Kの導分」は、「A/KのAに値を持つ導分」ですから、Der(A/K) = Der(A/K, A) です。
ちなみに、導分を微分〈differential〉と呼んでもかまいませんが、ここでは、代数的に定義される作用素なので微分とは別な言葉を使いました。
ユークリッド空間上の関数ジャームの空間
関数fの一点aでの微分係数は、fの、点aのまわりの局所的な振る舞いで決まります。このことをハッキリと述べるために、関数ジャームの空間を定義します。もっとも、関数ジャームの空間を作るのが面倒なら、代わりに、適当な開集合Uに対する C∞(U) でも大差ないです*3。
ここから先、U, V などは、Rnの原点('0'と書く)を含む開集合とします。
- C∞(U) = {f:U→R | fは、U上で定義された何回でも微分可能な関数}
f∈C∞(U) と g∈C∞(V) が、原点のまわりでの振る舞いが同じことを f ~ g と書きましょう。~ の定義は:
- f ~ g :⇔ 0∈W, W⊆U, W⊆V である開集合Wが存在して、f|W = g|W
ここで、f|W は、fの定義域をWに制限した関数です。
~ は同値関係になりますが、その同値関係が載る集合は次のような大きな集合です。
ここで、Open(Rn, 0) は、Rnの原点を含む開集合からなる集合とします。
関数ジャームの空間 C∞Germ(Rn, 0) は次の商集合です。
要するに、0の近くで同じ関数は同一視してしまった関数集合が C∞Germ(R, 0) です。C∞Germ(R, 0) の要素を(0における)関数ジャーム〈germ of a function〉と呼びます*4。関数ジャームは、適当なUに対するC∞(U)の要素f(普通の関数)を用いて、[f](fの同値類)の形で表せます。
関数ジャーム可換環の実数値の導分
関数ジャームの空間 C∞Germ(Rn, 0) は、自明な方法で可換環になります。
- 足し算: [f] + [g] := [f + g]
- 掛け算: [f][g] := [fg]
実数を定数関数とみなすことにより、可換環の準同型写像 σ:R→C∞Germ(Rn, 0) を定義できます。したがって、(C∞Germ(Rn, 0), R, σ) = C∞Germ(Rn, 0)/R は相対可換環になります。この例では、Rは体で、σは単射準同型写像です。
次に、加法群としてのRを、可換環C∞Germ(Rn, 0)/R上の加群とみなしましょう。係数環がC∞Germ(Rn, 0)/Rで、加群の台加法群〈underlying additive group〉がRですから注意してください。
関数ジャーム φ = [f] による実数rへの作用(スカラー乗法)は:
- 左から: φ・r := φ(0)r
- 右から: r・φ := rφ(0)
ここで、φ(0) = f(0) ですが、代表元fの取り方によらずに決まる実数値です。
いま定義したスカラー乗法'・'により、Rは関数ジャーム可換環C∞Germ(Rn, 0)上の加群となり、必然的に相対可換環 C∞Germ(Rn, 0)/R 上の加群となります。
以上のセットアップで、相対可換環 C∞Germ(Rn, 0)/R のRに値を持つ導分の集合 Der(C∞Germ(Rn, 0)/R, R) を考えることができるようになりました。
Der(C∞Germ(Rn, 0)/R, R) が、実数体R上のベクトル空間になることは容易に分かります。さて、どんなベクトル空間なのでしょうか? 有限次元でしょうか? 有限次元ならどんな基底を取れるでしょうか? -- 次節と次々節でこの疑問に答えましょう。
導分の有限次元表示
X∈Der(C∞Germ(Rn, 0)/R, R) とします。つまり、Xは関数ジャーム可換環のRに値を持つ導分 X:C∞Germ(Rn, 0)→R です。導分Xは、実は次の形に書けます。
ここで、ξi達はn個の実数です。添字を上にしたのは習慣に従ってです。∂i|0 は、関数(のジャーム)の原点0における第i偏微分係数を取る作用素です。
いちいちジャームとしての同値類を取る(ブラケットを付ける)のが煩雑なら、次のように書いてもかまいません*5。
作用素は、関数に作用するとみても、ジャームに作用するとみてもかまいません。テキトーに融通してください。
先の表示 におけるξi達は一意に決まります。つまり、R上のベクトル空間 Der(C∞Germ(Rn, 0)/R, R) は、基底 {(∂1|0), (∂2|0), ..., (∂n|0)} を持つ有限次元ベクトル空間なのです。そのことを次節で示します。
有限次元性の証明
引き続き X∈Der(C∞Germ(Rn, 0)/R, R) とします。
X1 = 0 はすぐにわかります。なぜなら… … … ウーンと、困ったな、1と1のジャーム可換環内での積をどう書こうか? '11'だとジュウイチになるし、'1・1'はスカラー乗法と約束したし… 1×1 にするわ。
- For 1∈C∞Germ(Rn, 0),
X1 = X(1×1) = (X1)・1 + 1・(X1) in R
よって、
- For 1∈C∞Germ(Rn, 0),
X1 = X1 + X1 in R
Rの要素でこれを満たすのは0だけなので、X1 = 0 です。導分はR-線形だったので、r∈R に対して、
- For 1∈C∞Germ(Rn, 0),
X(r1) = r(X1) = r0 = 0 in R
これより、定数関数の導分(の結果)はゼロです。
次に、φ(0) = 0, ψ(0) = 0 のとき、X(φψ) = 0 です。なぜなら、
- For φ, ψ∈C∞Germ(Rn, 0),
X(φψ) = (Xφ)・ψ + φ・(Xψ) in R
さらに、スカラー乗法'・'の定義と φ, ψ に関する仮定により、
- (Xφ)・ψ + φ・(Xψ) = (Xφ)ψ(0) + φ(0)(Xψ) = (Xφ)0 + 0(Xψ) = 0
以上で補題が準備できました。
微分の話をするので、100%代数的というわけにはいきません。解析からの結果も使います。0∈U⊆Rn は開集合だとして、関数 f∈C∞(U) は、次のようにテイラー/マクローリン展開できます*6 。
ここで、giは、gi(0) = 0 である関数です。偏微分係数は実定数なので、
と置きます。また、(下の二番目に出てくるλはラムダ記法のλです。)
と置くと、上のテイラー/マクローリン展開を関数ジャームの等式に落とせます。
φ = [f] に導分Xを作用させてみると、Xの線形性により:
補題1と補題2により、第1項と後半の総和は消えてしまうので、
ξi = X(πi) と置いて、ai達を(形を変えて)偏微分係数に戻すと:
これで目的の等式が得られました。
まとめると; 任意の導分 X:C∞Germ(Rn, 0)→R は、基底 {(∂1|0), (∂2|0), ..., (∂n|0)}⊆C∞Germ(Rn, 0) のR-線形結合として書けます。
このときの実数係数ξiは、
別な言い方をすると、写像 が、Der(C∞Germ(Rn, 0)/R, R)→Rn というベクトル空間のあいだの同型を与えます。
- Der(C∞Germ(Rn, 0)/R, R) Rn 基底 (∂i|0)達による同型
*1:[追記]AはK-可換代数〈K-可換多元環〉だと言っても同じです。また、CRingを可換環の圏だとして、アンダー圏 K/CRing の対象が相対可換環だとも言えます。Kを固定しないなら、関手圏 [{・→・}, CRing] の対象が相対可換環になります。[/追記]
*2:体の拡大を L/K と書くのと同じ習慣なのだと思います。
*3:「この機会に関数ジャームを紹介しました」という感じです。ジャームは、それだけでもけっこう役に立つ概念ですが、層の理論のなかで考えるのが自然かも知れません。「層に関してちょっと」、「層に関してちょっと 2: 層化」、「局所元のジャームセクションとセクションジャームの評価」などを参照。
*4:"germ"は「芽〈め | が〉」と訳しますが、僕はあまり使いません。
*5: という書き方は、フォーマルにはちょっと問題ありです。「微分計算、ラムダ計算、型推論」参照。でも、常識的に解釈すれば大丈夫です。
*6:[追記]この形の展開が出来ることはアダマールの補題(https://ncatlab.org/nlab/show/Hadamard+lemma)と呼ぶそうです。しかし、他にもアダマールの補題/定理と呼ばれる命題はありますから注意してください。[/追記]