7月22日のエントリー「Microformatsと多重マークアップ」と、少し前の「邪悪なマークアップも抱擁する」には関連があります。
「邪悪なマークアップも抱擁する」では、トンデモマークアップの事例をいくつか出しまたが、非難したり排除したりするのが目的ではありません。むしろ、それらも許容すべきではないか、ということです。だから見出しも「抱擁する」なんです。
トンデモ・マークアップのなかで、次の例を取り上げて考えてみましょう。
<寄せ書き> <田中>元気で行ってこい。</田中> <ミヨ子>おみやげ、忘れないでねぇ</ミヨ子> <!-- ... --> </寄せ書き>
これがまずい理由は、<田中>元気で行ってこい。</田中>
や<ミヨ子>おみやげ、忘れないでねぇ</ミヨ子>
のあいだに共通性があるのに、その共通性がマークアップにより表現されてないことです。確かに明示的なマークアップはされてません。しかしですね、「<寄せ書き>要素の子である」という一種のコンテキストのなかに共通性が(暗黙に)前提されているのです。
つまり、「<寄せ書き>要素の子である」こと自体が、「寄せ書きに寄せられたひとこと」であるという背後の意図を具現化しています。よって、<寄せ書き>要素の子として位置させることにより、既に共通性(一種の型や役割)は表現されているのであり、明示的なマークアップなど不要だ、とも言えるのです。(トンデモ・マークアッパーがそのように考えている、とは主張してませんよ、好意的なコジツケです。)
以上の事実を、「Microformatsと多重マークアップ」で使ったエエカゲンな構文で書いてみれば:
{意図="寄せ書き"} {意図="ひとこと" 誰="田中"}元気で行ってこい。{/} {意図="ひとこと" 誰="ミヨ子"}おみやげ、忘れないでねぇ{/} ... {/}
これをもとに、意図を要素タグ名にすれば、割とまともなマークアップが得られます。
<寄せ書き> <ひとこと 誰="田中">元気で行ってこい。</ひとこと> <ひとこと 誰="ミヨ子">おみやげ、忘れないでねぇ</ひとこと> ... </寄せ書き>
もう少し詳しい分析は、キマイラ・サイトの記事「レコードとしてのXML要素」、特に第5節「タグ名をフィールド値だとみなす」を見てください。
変なマークアップであっても、そのようなマークアップをした人には、前提や意図があったわけで、それがどうしようもなく支離滅裂なら手の施しようもないのですが、推測可能な法則性/合理性を持つなら、そういう推測をしてあげてもいいと僕は思うのです。
上の「寄せ書き」の例では、トンデモの背後にある法則性/合理性が、実は多重マークアップの特殊な形態であり、なかなかにadvancedなマークアップとも言えるんではないか、と(言えないかもしれないが)。