僕は、「抽象的」と「具体的」という言葉を必ずしも反対語として使っていません。意図的にそうしているわけじゃないのですが、気がつくとそうなんです。どういう事かというと、僕の個人的な言葉使いでは:
- 抽象的の否定や反対語が具体的(具象的)ではない。
- 具体的の否定や反対語が抽象的ではない。
- したがって、抽象的かつ具体的なものがあってもいい。
「あってもいい」というより、僕は「抽象的かつ具体的なもの」が好きなのです。日本語の使い方として変なので困ったなー、と思っています。なんかいい言葉使いがあったら教えて欲しいのですが、事情を少し書いておきます。
例えば、僕が話題にする圏やモナドは抽象的か? というと、まー抽象的なんでしょう。抽象的だからこそ力がある、とも言えます。しかし、圏やモナドを持ち出したら“具体的じゃない”とか“具体性に欠ける”ってことにはなりません、僕の言葉使いでは。むしろ、ふにゃふにゃモヤモヤの状況が圏やモナドで明確に定式化できたなら、“具体性が増した”と言いたくなります。いやっ、日本語が変なのはわかってますよ。
ともかくも、僕は抽象的なモノが好きなんですが、それは具体的なモノが嫌いとは違います。そうじゃなくて逆です、具体性がないとイヤなのです。
「これはひどい誤解だ -- フローチャートは手続き型…だってぇー?!」のコメント欄(長くて鬱陶しいので読まなくてもいいです)に、
思弁的な話や比喩からの悟りは苦手でとても嫌い
僕は具体性がない話に興味はない
と書いています。これは僕の本音です。
悟りを要求するとか具体性がないとは、「それは何なの? どういうことなの?」に対してキチンと答えられないような状況のことです。『燃えよドラゴン』のなかのブルース・リーは弟子に次のように言います。
- Don't think. FEEL. It's like a finger pointing at the moon.
考えようとする弟子に「考えるな」と、「感じるんだ」と。これはマジでカッコイイですね*1。カンフー(?)ではこれが教育法なのかも知れません。ですが、科学や技術に関わることで「考えるな、感じるんだ」が良い教育法だとは思えません。「月をさす指」を出されてもワケワカンナイだけです。
「感じるんだ」「月をさす指」みたいな話を僕は“具体性がない”と言います。仮に抽象度の高い概念をたくさん使っても、それによって「それは何なの? どういうことなの?」に対してキチンと答えているなら具体的です。抽象度の高い概念を知っているか/理解できるかはトレーニングの問題です。よく編成されたトレーニングコースに悟りは要らないはずです。
抽象度の高い概念を使うことに遠慮はせず、「具体的に具体的に具体的に具体的に」語れたらいいな、と思っています。4回繰り返しの「具体的に」は次のエントリーのタイトルにしたフレーズです。
次のエントリーでも似たような話題を扱っています。抽象的な具体性を持とう、ってなことです。あー、日本語が変だー。