「微分幾何の特殊な習慣 -- 知らんかった」で、「dsはdとsに分解しない。単なる習慣的記法。s単独で意味などない」と書いたのですが、書いた後で「ちょっと言い過ぎかな」と思いました。で、追記しときました。
長い期間、広く使われている記法には、なにかしらの意味はあるものです。“意味”が心理的なもの(メンタルモデル)かも知れませんが、適切な解釈のもとでの整合性は期待できるでしょう。
内容:
- dxはdとxに分けて考える
- 微小量にはdを付けるという習慣
- 長さの微小量はどう書くか?
- sは弧長パラメータ
- まとめ
dxはdとxに分けて考える
記事「微分幾何の特殊な習慣 -- 知らんかった」で、dsは、'd'と's'の二文字まとめて単一の記号で、分解したら無意味だと言いました。しかし、dfとかdxとかは、そもそも分解したら無意味だと思っている方もいるでしょう。そうじゃないです。“普通は”分解しても解釈できます。何が“普通”かの議論は大いにあるでしょうが。
外微分計算〈exterior calculus〉では、dfと書いたら、dとfに分解できます。fが関数で、dは微分(外微分作用素)です。dが作用素で、fが被作用項〈オペランド〉であることを強調して d(f) と書くとして、例えば2次元での話なら:
ここで出てきたdx, dyも、それぞれ関数xと関数yの微分です。xはどんな関数かというと、(a, b) |→ a という第一射影を取る関数です。yは第二射影ですね。dxとdyが、“1次微分形式=余接ベクトル場”の(加群としての)基底になります。
df/dx = g(x) という簡単な微分方程式は、df = g(x)dx と書いても同じです。より一般に、df, dx などが出現している等式は、なんらかの微分方程式だと解釈できます。
微小量にはdを付けるという習慣
気分を変えて、長さではなくて体積を話題にしましょう。体積をラテン文字・大文字'V'で表すことにします。文字'V'は体積を表すために固定(あるいは予約)するとしましょう。このとき、dVに意味を持たせることはできます。ただし、「関数Vを外微分したものがdV」という解釈はできません。
Vを関数と考えるなら、その域〈domain〉は何でしょうか? 「微分幾何の特殊な習慣 -- 知らんかった」で例に使ったような開集合 U⊆Rn を選んで、V:U→R と考えていいでしょうか? ちょっと無理がありますよね。
Vの引数になり得るのは、なにか“体積を持つ図形”でしょうから、
- V:(“体積を持つ図形”の集合)→R
でしょう。図形をR3の部分集合だと考えれば、
- (“体積を持つ図形”の集合)⊆Pow(R3)
ここで、Pow(R3)はR3のベキ集合 -- R3のすべての部分集合からなる集合です。
(“体積を持つ図形”の集合)を定義するのは難しいですが、うまく定義できたとすると、Vは(“体積を持つ図形”の集合)の上の測度になります。測度は積分として表示するのが自然でしょうから:
ここで出現した被積分項dVは、「微小な体積」という解釈を持ちます。「R3に内在する(最初から在る)微小な体積を、図形Aの上で寄せ集めたら、Aの体積になる」と読めます。
この被積分項dVを、dとVに分解して「Vにdしたもの」と解釈するのは無理ですが、「マクロ量Vの微小バージョンdV」というメンタルモデルとしての意味はあります。
長さの微小量はどう書くか?
体積と同じことを長さに関して議論してみます。ラテン文字・大文字'V'はvolumeの'v'から取ったので、長さはlengthの'l'からラテン文字・大文字'L'を採用しましょう。
Lの引数になるのは、なにか“長さを持つ図形”でしょうから、
- L:(“長さを持つ図形”の集合)→R
先ほどと同様に図形をR3の部分集合だと考えれば、
- (“長さを持つ図形”の集合)⊆Pow(R3)
A∈(“長さを持つ図形”の集合) に対して、
話のスジは、体積でも長さでも同じです。が、しかし、“長さを持つ図形”をR3の部分集合として測度論的に扱うのは面倒で計算もやりにくいですね。扱い方を変えましょう。
部分集合Aではなくて、関数 f:I→R3 を考えます。ここで、Iは実数の区間で、fはなめらか(いくらでも微分可能)とします。fの域である区間Iは、2つの実数a, bにより I = [a, b] と書けますが、位置をズラせば、I = [0, a] とできるので、区間の左端は常に0に取ると約束します。また、fの微分係数〈速度ベクトル〉はゼロベクトルにはならないことも仮定します。
以上の設定で、L(f) はどう表現できるでしょうか。
ここで、f'は関数fの微分係数〈導関数 | 速度ベクトル〉で、|-| はベクトルの長さ〈ノルム〉です。fを (f1, f2, f3) と成分表示するなら:
前節同様に、「マクロ量Lの微小バージョンdL」というメンタルモデルに従うと、
被積分項どうしを比較して、
fの存在を暗黙に前提するなら、LとdLの関係はとても自然なものだと思います。体積と長さだけでなくて、この記法は一般的に使用していいでしょう。次のようにルール化できます。
- なんらかのマクロな量Xがあるとする。
- その量Xは、Aなどを測って得られるとする。
- 量Xの微小バージョンをdXと書く。
- マクロ量 X(A) は、微小量 dX をAに関して積分して得られる。
sは弧長パラメータ
さて、最初に取り上げた微分幾何の's'に話を戻しましょう。長さを'L'とするか's'とするかは別にどうでもいいので、伝統に則り's'にしましょう。
自然な記法であり、なんら問題ありません。
しかし、文字's'の出自は別なところにあります。弧長パラメータです。弧長パラメータは、“長さを持つ図形”の表示を正規化〈一意化〉する手段として使われます。異なる出自と異なる経緯でも、同じ記法に到達するのですが、「異なる経緯」を追ってみます。
なめらかな関数 f:I→R3 で“長さを持つ図形”を表そうとすると、かなりの任意性・恣意性・自由度があります。任意性を潰すために同値関係を入れましょう。
f:I→R3 と g:J→R3 が同値だとは、次のことだとします。
個々の関数ではなくて、同値類を使えばパラメータ付けの任意性は消えますが、同値類よりは、代表元である関数を選んで、それを使ったほうが分かりやすいです。
f:I→R3 に次の条件を課します。
- 微分係数〈速度ベクトル〉f'の長さはいたるところで1。
この条件を満たすfは、先の同値類の代表元になります。この条件を満たすfに関しては:
長さs(f)が区間の右端aで与えられます。この等式左辺のsはマクロ量としての長さです。
「微分係数f'の長さはいたるところで1」であるfに関しては、実数区間を走るパラメータに's'を使うと約束します。この約束から、今までuと書いてきたところがsに変わるので:
fに課した条件から |f'(s)| = 1 なので、
[追記]
すぐ上の等式 は、だまされた/バカにされたような気がするかも知れません。右辺側で暗黙に前提しているfを明示的に書いて、
ならどうでしょう。fのマクロ量s(f)を測ることは、dsという微小量をfに関して積分して求めるのです。となると、積分操作は、f達がいる空間とds達がいる空間のあいだで行うことになります。これは、微分形式やチェーンの代数を出さないと、うまく表現ができない気がします。
[/追記]
まとめ
- dX という書き方に対して、「dが外微分作用素、Xが被作用項」という解釈がある。
- dX という書き方に対して、「Xがマクロな量、dXがその微小バージョン」という解釈がある。
- 上記ニ種類の解釈がたまたま一致することもあるが、一般的には異なった解釈となる。
- よって、解釈の選択肢を間違えると、意味不明になるかも知れない。
- 実際に解釈の選択肢を間違えて混乱するヤツがいる(それは私だ)。
[追記]念の為に言うと、「外微分のd」と「微小量のd」が無関係だ、と主張しているわけではありません。「外微分のd」は「微小量のd」のなかで、線形代数でうまく定式化できる部分を取り出したものでしょう。「微小量のd」のほうが、より多様に、そしてときに曖昧に使われるので、「微小量のd」が「外微分のd」としては解釈できないこともあるよ、ということです。
教訓としては、
です。[/追記]