今日は、まとまった話をしたり、ちゃんとした参照先/引用を集める気力がないので、とりとめもない話をしまーす。
どうもね、なんとなくだけどジワリジワリとなまぬるく、技術者の技術的教養への要求が変化しているような気がしなくもない。その変化はどういう方向へかと言うと、(曖昧な表現だが)まっとうな方向へ、だと思うのです。
まっとうな方向とは、より基礎的で確実な知識を求める方向といってもいいかと。もっともこれは、僕が、「そうなったらいいな」という希望から幻影を見ているのかもしれませんけど。「人は自分が見たいものを見る」から。
一例を挙げれば、関数型言語、つうか関数型フレーバ*1がリバイバルしているような感覚を抱くんだけど…。僕がよく話題に取り上げているJavaScriptだって、アレ、Lisp方言といえなくもないし。まー、リバイバルとはいってもね、副作用なしでプログラミングしようなんてのは非現実的なんであって、もう少し原則的なところで、計算現象を関数/適用を通して理解しよう、というあたりだと思いますけど。
もう昔の話だけど、JUnitが流行ったとき、僕はアサーションベースな記述、つまり論理的形式仕様が受け入れられる土壌となるのではないか、とか期待しちゃいましたよ→この文面参照。これは今でもそう思っていたりします(道は遠くても)。
あるいは、この日記のエントリーで論理や計算論の話をすると、多少の反応はある、ってのも、意外だけどうれしいことで、お勉強志向の技術者(技術者じゃなくてもいいが)が実在している傍証でしょう、たぶん。
もっとも、“圏論 for 計算科学”はサッパリだけどさ、、、、とはいえそれでも、Web上で産総研的言説(って、なによ、それ)を、目にする機会は増えたような、そうでもないような。
あー、とりとめもない。
*1:あのFlavorではないよ、単に「香り、傾向」。