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参照用 記事

名前の解釈 その3

名前の解釈: 正確なコミュニケーションのために」、「名前の解釈 その2」の続きです。$`\newcommand{\In}{\text{ in }}
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`$

内容:

アトムの問題

名前の解釈: 正確なコミュニケーションのために // 文脈を考慮する」で述べたように、現在の主流の集合論〈ZFC集合論〉では、すべての存在物が集合であって、集合ではないモノは考えません。

しかし、集合ではないアトミックな概念的存在物があるんだ、と信じている人は多いでしょう。そう信じる明白な根拠は特になくて、単に信じたいから信じているという意味でアトム信仰と呼べます。「アトムがあったらいいな」という気持ちは否定しませんが、気持ちだけにとどめておきましょう。

$`x`$ がアトムであるとは、$`x`$ をそれ以上分解できない、他のモノ達から構成されてはいない、ということです。集合論の言葉でいえば、$`x`$ は要素を持たないことです。「$`x`$ がアトムである」という命題を論理式で書けば:

$`\quad \forall y.\, \lnot (y\in x)`$

ZFC集合論ではアトムはない、と言いましたが、上記の条件を満たす集合がひとつだけ存在します。空集合です。次の命題は、ZFC集合論で真な命題です。

$`\quad \forall y.\, \lnot (y\in \emptyset)`$

なので、空集合はアトムだと言えなくはないです。しかし、空集合以外の集合はアトムではないし、空集合も集合の一種なので、特にアトムという概念を導入する必要性も必然性もありません。

ZFC集合論のオフィシャルな立場ではアトムなんて考えませんが、気持ちの上で、例えば「自然数をアトムだと思いたい」のは自由です。しかし注意すべきは、次のような命題を仮定してはダメなことです。

$`\quad \forall n\in \mbf{N}.\forall y.\, \lnot (y\in n)`$

ZFC集合論とフォン・ノイマン流の自然数の概念を“ぶち壊し”にしてしまいます。「気持ちだけにとどめる」とは、自然数の要素には言及しないで、あたかも要素がないかのように扱うことです。実際には要素を持つにしても、それには知らんふりすることです。「自然数は要素を持たない」と積極的に主張してはダメです。アトムを認める集合論もあるにはありますが、よほど特別な事情がない限り、アトムを認める集合論を使う理由がありません。

名前の解釈 その2」の記法を使うとして、文脈 $`V`$ は「空集合をアトムとは呼ばない」文脈、文脈 $`W`$ は「空集合をアトムとは呼ぶ」文脈だとして:

$`\quad \BR{\T{アトム as 一般名 w.r.t }V } = \BRG{\T{アトム w.r.t }V} = \emptyset`$
$`\quad \BR{\T{アトム as 一般名 w.r.t }W } = \BRG{\T{アトム w.r.t }W} = \{\emptyset\}`$

$`\emptyset`$ と $`\{\emptyset\}`$ はもちろん違います。上の2つのことを日本語で書けば:

  文脈 $`V`$ において、一般名「アトム」により呼ばれるモノなど無い。
  文脈 $`W`$ において、一般名「アトム」により呼ばれるモノはひとつだけある。それは空集合である。

集合と要素

名前の解釈 その2 // グロタンディーク宇宙」で例に挙げたように、「集合」という言葉の意味・用法を、デフォルトのグロタンディーク宇宙 $`\mbb{U}`$ の小さい集合だと合意している文脈を $`V`$ とします。この文脈においては:

$`\quad \BR{\T{集合 as 一般名 w.r.t }V } = \BRG{\T{集合 w.r.t }V} = \mbb{U}`$

文脈 $`V`$ において、一般名「集合」の意味・用法はハッキリしています。

では、「要素」という言葉はどうでしょう? どんな集合のどんな要素でも、それ自体が集合なので、次のような解釈が出来ます。

$`\quad \BR{\T{要素 as 一般名 w.r.t }V } = \BRG{\T{要素 w.r.t }V} = \mbb{U}`$

しかし、これだと「集合」と「要素」が同義語になってしまって気持ち悪いですね。

いくら考えても $`\BR{\T{要素 as 一般名 w.r.t }V }`$ の適切な意味が思い付きません。それもそのはず、「要素」は一般名ではないのです。一般名でないものを一般名として解釈しても無理があります。「要素」は構成素役割り名です。

次のような集合を考えます。

$`\quad \{(x, y)\in \mbb{U}\times \mbb{U} \mid y\in x\}`$

この集合を、集合要素ペア〈set-element pair〉達の集合と呼ぶことにします(今、文脈を導入した)。名前を付けておきます。

$`\quad \mbf{SetElmPair} := \{(x, y)\in \mbb{U}\times \mbb{U} \mid y\in x\}`$

$`\mbf{SetElmPair}\subseteq \mbb{U}\times \mbb{U}`$ なので、ペアの第二成分を取り出す写像があります。この写像にも $`\pi^{\mbf{SetElmPair}}_2`$ という名前を付けておきます。

$`\quad \pi^{\mbf{SetElmPair}}_2 : \mbf{SetElmPair} \to \mbb{U} \In \mbf{SET}`$

一般名「集合要素ペア」と構成素役割り名「要素」は次の意味です。

$`\quad \BR{\T{集合要素ペア as 一般名 w.r.t }V } \\
= \BRG{\T{集合要素ペア w.r.t }V} = \mbf{SetElmPair}`$
$`\quad \BR{\T{集合要素ペアの要素 as 構成素役割り名 w.r.t }V } \\
= \BRP{\T{集合要素ペアの要素 w.r.t }V} = \pi^\mbf{SetElmPair}_2`$

ついでに、集合要素ペアの第一成分を取り出す写像 $`\pi^{\mbf{SetElmPair}}_1`$ についても考えると、次のようです。

$`\quad \BR{\T{集合要素ペアの集合 as 構成素役割り名 w.r.t }V } \\
= \BRP{\T{集合要素ペアの集合 w.r.t }V} = \pi^\mbf{SetElmPair}_1`$

「集合」というひとつの言葉が、一般名としても、(「集合要素ペアの集合」という構造を指す一般名と共に)構成素役割り名としても使われているのです。

字面が同じ名前でも、名前の種類〈sort of name〉が違うことがあります。字面も種類も同じでも、違う文脈で解釈することがあります。名前の解釈は、名前そのもの、名前の種類、文脈をすべて考慮しないとできません。

冠詞と複数形

日本語だと冠詞(the と a/an)が無く、単数と複数の区別もありません。これは、正確なコミュニケーションにおいて幾分不利な面もあります。

冠詞 the の使用場面は固有名であることを明示することです。自然言語の英語での話ではありません。人工言語としての用語運用における the の話です。

例えば、zero が一般名として使われているとすると、zero と呼ばれるものは色々あることになります。

$`\quad \BR{\T{zero as 一般名 w.r.t }V} \\
= \BRG{\T{zero w.r.t }V}
= \{0\in \mbf{N}, 0\in \mbf{Z}, 0\in \mbf{R}, 0 \in \mbf{R}^2, \cdots\}
`$

しかし、文脈 $`W`$ では自然数の話をしているとします。このとき:
$`\quad \BR{\T{the zero w.r.t }W} = \BR{\T{zero as 固有名 w.r.t }W} \\
= \BRP{\T{zero w.r.t }V}
= (0\in \mbf{N})
`$

the を使うと、一般名の意味と固有名の意味が一致することをハッキリ示せます。

$`\quad \BR{\T{real as 一般名 w.r.t }V} = \BRG{\T{real w.r.t }V} = \mbf{R}
`$
$`\quad \BR{\T{the set of reals w.r.t }V} = \BR{\T{reals as 固有名 w.r.t }V} \\
= \BRP{\T{reals w.r.t }V} = \mbf{R}
`$

the set of reals に対して、a set of reals はちょっと違った意味を持ちます。

$`\quad \BR{\T{a set of reals as 一般名 w.r.t }V} = \BRG{\T{a set of reals w.r.t }V} = \mrm{Pow}(\mbf{R})
`$

a set of reals 全体をひとつの一般名とみなせば、その意味は「a set of reals という名前で呼ばれるモノ達全体からなる集合」なので、実数の部分集合達の集合であるベキ集合 $`\mrm{Pow}(\mbf{R})`$ です。

自然言語に冠詞や複数形がないとしても、ちょっとした注意や工夫でカバーできます。自然言語(日本語)に問題があるというより、固有名と一般名を区別しないとか、集合と要素を混同するとか、そっちが問題なのです。

おわりに

コミュニケーションの齟齬が生じる原因は色々ありますが、最も多いのは、名前が指すモノに対する食い違いでしょう。「名前の解釈: 正確なコミュニケーションのために」、「名前の解釈 その2」とこの記事では、名前が指すモノを特定するメカニズムに関する話をしました。

3つの記事で言ったことは、名前を「固有名/一般名/構成素役割り名」の三種類に分類して、種類ごとに解釈を変えること、それと文脈も考慮して解釈すべきことです。名前の種類と文脈を意識するだけでも、コミュニケーションの精度はだいぶ上がると思います。