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メタっちゃう? うん、メタろうか

「メタ」(meta)という言葉は、なかなか人気がありますね。単なる衒学趣味で使っている人もいるようですけど。

僕も「メタ」は好きです。というか、手段として有効であると感じているので、積極的に使おうとしてます。人により「メタ」の解釈はいろいろでしょうが、僕が抱いている“感じ”は次のようなものです。

お勉強であれ、お仕事であれ、日々の生活であれ、行為とか作業は必ずあります。ある状況/環境に放り込まれて、あるいは巻き込まれて、そのただ中で行為している、と、そういうことは多いですね。子供は学校に放り込まれて、そこでお勉強してます。ろくでもないプロジェクトに巻き込まれて、その中で死にそうに仕事することもあるでしょう。

状況のただ中にあって行為することだけしか意識にない状態はメタってません。メタるためには、自分の行為を眺める立場にならないといけませんから。行為しながらでも、自分が何のために何をしているかを意識することはできます。“行為している自分を見ている自分”が存在すれば、それは既にメタってますよね。

自分(の行為)に対する観測や反省の延長として、他人(の行為)を含めた一般性を、分析の対象にできれば、もっとメタっているでしょう。さらに、自分や他人、世間一般の行為や認識や諸々のこと(の一部)を、抽象的にモデル化し(モデル化により矮小化されるかもしれないけど)、そのモデルのなかに、自分や他人や世間一般を投影できれば、だいぶメタっています。(しかし、どうメタってもメタメタっても、そのメタ行為をまさに遂行しているただ中の自分を外から眺めることはできないから、一番外側の作業当事者は残ってしまうけど。)

とまあ、こんなことが単なる言葉の遊びじゃないこと、実効的実践的実利的であることを示せたらいいのだが -- などと少しは考えてキマイラを飼育してます。