オブジェクト指向と私 - sumiiの日記 → 目下炎上中 : 『脱オブジェクト指向のススメ』について - lethevert is a programmer → 脱オブジェクト指向のススメ:ビジネスをデザインするブログ:オルタナティブ・ブログ と経由して、10日ほども遅ればせながらクダンの記事を読みました。
で、この記事「脱オブジェクト指向のススメ」には特に感想も感慨もないですね(肩すかし)。
まー、僕もアンチ・オブジェクト指向っぽいことをときに発言するので、「どう思っているの」と自分自身に問うてみました。過去のエントリーを参照(リンク)しながらまとめてみます。
まず、「役に立たない」とは思っていません。相当に役に立つと思ってますよ。好き/嫌いの話だと、ちょっと嫌い。でも、理論的な(ほんとに理論的なら)面では好きも嫌いもないです。オブジェクト指向の周辺部(それもある片寄った周辺)が嫌いなんです。
犬だ猫だ、牛だカタマランだ、あげくにウィトゲンシュタインだ量子力学だ(って、それはないか)、得体の知れないモノたちが「オブジェクト指向とは」の文脈で動員されたりするでしょう。あれって、いったいナニ? 哲学だか宗教だか道徳だか、ナンなんだか、わけわからん。
こういうのは、オブジェクト指向に限らないことなのかな? 例えば、objectさんていますよね。同じようなタイプの、functionさんとかprocedureさんとかって実在するのでしょうか。いるのかもしれないけど、僕は知りません。印象としては、どうもオブジェクト指向に哲学/宗教/道徳/オルタナティブ科学(?)/その他モニャモニャが付着しやすいような。
どうしてだろう? よくわからんけど、基本的な構成要素(オブジェクトとかクラスとか)にドライな定義がないからかな、と思ったりします。「変数」、「関数」、「手続き」とかだと、(定式化はいろいろあるけれど)無味乾燥な定義がありますから、あんまり妄想の余地もないのかな、と。僕は無味乾燥が好きなので、低水準な機構を参照したり、余代数(ある種の状態遷移系)のような概念でオブジェクト/クラスを解釈することにしてます。
無味乾燥ってのは、夢もないってことかもしれない。曖昧さに夢(と妄想)が宿る -- 結論にもオチにもなってないけど、これでオシマイ。