このブログの更新は Twitterアカウント @m_hiyama で通知されます。
Follow @m_hiyama

メールでのご連絡は hiyama{at}chimaira{dot}org まで。

はじめてのメールはスパムと判定されることがあります。最初は、信頼されているドメインから差し障りのない文面を送っていただけると、スパムと判定されにくいと思います。

参照用 記事

VOODOOな理論達:菊池さんの「ニセ科学入門」、田崎さんのエントリー、その他

※分類カテゴリが間違っていたんで、さすがにこれは直しました。

はてなブックマーク人気エントリーは、毎日チェックしてる時期もあるけど、ここ10日くらいは見てませんでした。久しぶりに覗いたら、昨日(12月20日)まで、菊池さんの「ニセ科学入門」「『水からの伝言』を教育現場に持ち込んではならないと考えるわけ」人気エントリーに入っていたのですね。僕は、「ニセ科学入門」は随分前に読みました(「お水問題」で深刻になる以前)。が、なぜ今、ブックマークを集めているんでしょうかね。

ブックマークのコメント欄見ても事情がわからん。で、人気エントリーのリストをたどってみました。19日、18日と、Hal Tasaki田崎晴明)さんの書評:「水は答えを知っている」って長大なエントリがリストされていて、どうも、これがキッカケの模様。

田崎さんのエントリーは力作。長いけど通読されることをお勧めします。以下では、僕自身の経験と絡めて田崎エントリーを引用します。僕の「お水問題」「お水ショック」の経緯は、「『水は生きている』騒動、そしてそれから」からたどれますし、関連エントリー全体はタクソノミーにまとめてあります。


田崎さんが「水は答えを知っている」を取り上げたキッカケは、僕と似たような事情もあったようです(強調は檜山)。

私はいわゆる「ニセ科学」の類にはどちらかというと寛容な方なのだが、「水からの伝言」が小学校での授業に用いられているということを知って、つよい衝撃を受けた。


このような授業が多くの小学校でおこなわれたという事実、そしてそれ以上に、少なからぬ小学校の先生が「水からの伝言」は適切な教材だと判断したという事実に、私はつよい衝撃を受けたのだ。


ある程度以上の教育を受けた知識人・教育者が、このような真性の「ニセ科学」と薄っぺらな道徳の混合物に疑問を感じなかったことに、つよい恐怖を感じたのである。

「衝撃(ショック)」「恐怖」という言葉は僕も何度も使いました(→「ウチには子供がいるってこと」 )。

さて、田崎さんは江本グループ企業とその商売に関しては今回言及を避けています。

明らかに「ニセ科学」の要素のはいったご商売だと思うが、ここでは、その点は問題にしない


ここに登場した「波動測定器」というのも当然ながら実に怪しいものなのだが、この書評ではそこまでは議論しない。

僕には、この怪しいご商売を抜きに江本理論/江本教は語れないように思えます。その後調べた感触から、「江本氏の本質は詐欺師である」と今は考えています。

江本さんの書いたものを読んで非常に困惑するのは、ネタかマジか区別が付かない点です。それゆえに、とらえどころがなく、彼の輪郭を描くのは非常に困難です。しかし、一部のトンデモ氏のごとく、通常の思考能力が欠如しているとは思えません。ある意味「かしこい」はずです。それであの言動となると、なんらかの意志/意図によるコントロールが働いている、と推察されるのです。

では、その隠れたドライビング・フォースとは? 可能性のひとつは利潤追求です。AERAのインタビューで「僕(江本)は科学者ではない、宗教家でもない」と答えていますが、では江本さんは何者? ビジネスマンでしょう。それも限りなく詐欺商法に近い。もっとも、法的に詐欺と断定することは困難でしょう。それゆえに、よけい悪質だと思うのです。

なんばさんは「『水伝』の宗教性」で、「馬脚をあらわしています」という言葉使いで、江本さんが貧しい(あるいはさもしい)精神性しか持っていないであろうことを指摘しています。(以下の表現は僕のバイアスがかかった不適切なものだが)実際江本さんは、大きな災害(スマトラ沖地震津波カトリーナなど)があると、さもうれしそうに「ほれみろ、お水様のバチがあたった」と吹聴しているのです。

再び田崎さんの指摘に戻ると、江本さんの主張が「あまりにもわかりやす過ぎる」点を問題になさっています。まさにそのとおりで、江本さんは異常に単純な説明を平気でします。おらくは自分では信じていないであろう説明を。

偶然にも、はてなブックマーク人気エントリーで見つけた「はてなブを見るときは、ヒットラーの言葉を思い出そう」において、話題も文脈も江本氏とは何の関係もないけど、ヒトラーの示唆的な言葉が引用されていました、孫引きします:

大衆の受容能力はきわめて狭量であり、理解力は小さい代わりに忘却力は大きい。この事実からすれば、全ての効果的な宣伝は、要点をできるだけしぼり、それをスローガンのように継続しなければならない。この原則を犠牲にして、様々なことを取り入れようとするなら、宣伝の効果はたちまち消え失せる。というのは、大衆に提供された素材を消化することも記憶することもできないからである。

大衆の圧倒的多数は、冷静な熟慮でなく、むしろ感情的な感覚で考えや行動を決めるという、女性的な素質と態度の持ち主である。だが、この感情は複雑なものではなく、非常に単純で閉鎖的なものなのだ。そこには、物事の差異を識別するのではなく、肯定か否定か、愛か憎しみか、正義か悪か、真実か嘘かだけが存在するのであり、半分は正しく、半分は違うなどということは決してあり得ないのである。

「あまりにもわかりやす過ぎる」主張をしつこく繰り返す江本メソッドは、ヒトラーの薫陶を受けたものでしょうか -- と自分で書いて背筋が寒くなる、冗談扱いもできないよ、コレ。

田崎さんの記事からもう一箇所:

本書(江本氏の著書)のこの部分を読んだ上でも、「水からの伝言」を小学校の教材に使おうと考える人がどれくらいいるのだろう? さすがにそんな人はいないと考えたいのだが。

「この部分」とは、「言葉を紙に書いて水に見せても結晶が変化するというのは、どのように解釈したらよいのでしょうか。…」のくだりです。僕も、ここまでバカバカしい理屈をマジに受け止める人なんて、“さすがにそんな人はいないと考えたい”のですが、それはおそらくは甘い考えです。ヒトラーが想定した大衆のように、恐ろしくたやすく感化、扇動されてしまう人が確かに存在するのです。問題はその比率ですが、ほんの少し前までは楽観視していた僕も、その比率が小さい値ではない、という不安を抱いています。

“さすがにそんな人はいないと考えたい”よ、ほんとに。だって怖いんだもん。あー、目をつぶって冬眠したい。