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参照用 記事

便利なものを不便に使う

open.jpのKAIさんからいただくトラックバックは、(よい意味で)意表をつかれます。たしか最初は、「ゲージ理論トポロジー」というネタだったと記憶してますが、こんな話題に反応があることでまずビックリ。

先日は、掛け算ができない息子の愚痴を書いたら、それがパーソナライゼーションの限界問題へと化けてましたし。そして今回は、「はてな使いにくい」と書いてあるURLを列挙しただけのエントリーに対し「ユーザーインターフェースの議論」が展開されています。

ユーザーインターフェースの議論のなかに:

古くは、テレビの中に映画の厳粛さを求めたように、近くはメールの中に手紙の作法を求めたように、

というフレーズが登場します。これは、「人の価値観はやがて変化します」という文へと続くのですが、これで触発されたハナシを少し。

なんでもemacs内で済ましてしまう連中を苦々しく思って「viとシェルを使え」と言った先生がいたとかいないとか、そんな話を聞いたことがあります。僕は、便利なものがあれば使えばいいのであって、あえて面倒なことをする必要はあるまい、と思います。

IDEを使うと、言語処理系や実行系のメカニズムが理解できなくなる」という指摘も、確かにそれはあるでしょうが、「高級言語を使うと、CPUやメモリのメカニズムが理解できなくなる」からコンパイラを使うな、とは言えないのと同様に、時代は変わっているのだから、しょうがないよな、という気分。

でも、しかし、です; classファイルやjarファイルを実行するために、eclipseを起動してしまう(既に起動しているならともかく)、antの実行にもeclipseを起動する。そしてメニューやらダイアログやらいじって操作する、という姿を見ると、さすがにちょっと、、、、「便利なものを使えばいい」つうより、「それ不便じゃないの?」