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参照用 記事

これは言っておきたい:大事なことはどこで教わったのか

記事「『正規(regular)』とは何なんだ? 2 正規構造」は、2回アップロードしたけど、それでもまだ書き上がってません。その後少し続きを書き足しました。そこで話が少し脇道にそれてしまったのですが、これはこれで重要だろうと思ったわけです。「脇道」はどっち方向への道かというと:

『○○に必要な△△はすべて××で学んだ』というたぐいの題名の本をたまに見かけます。オリジナルはたぶん『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ (河出文庫)』でしょう。で、僕が言いたいことも、これに近いことで、幼稚園とは言わずとも、小学校、中学校くらいで、大事な考え方/手法はだいたい出てきてるんですよ -- と、ここで僕が想定している領域は、ソフトウェア・テクノロジーとかコンピューティング・サイエンスですけど。

ほんとに新しいアイディア/考え方なんて、そうそう生まれるもんじゃありません。独創は、とても恵まれた人が一生に1, 2度体験することです。ほとんどの人は、そんな経験をせずに死んでいきます。

しかし一方、僕らは、過去何百年(むしろ何千年か)の蓄積のエッセンシャルな部分を(いかにろくでもない教育課程だとしても)小学校/中学校/高校で習います。そのなかには百年に一度(あるいは千年に一度)のアイディアが含まれています。

この時期(標準的教育課程)に習うことは、浅薄な思考と軽率な言葉でひねくり出されたあやしい概念とは、まったくレベルが違う根源的なものです。同じ時間を使うなら、より根源的なアイディアに触れるほうがずっと効率的です -- と、このことは「ゴミクズと金塊」の例え話でも言ったかな。


(続く)