opechumanさんのエントリーは、bonotakeさんへの応答なんでしょうが、僕としては、このテの話は「別にどうでもいいや」。「哲学者一般が…」とかいう話はワカラン。そもそもそこは論点じゃないし。「哲学者が」じゃなくて「郡司ペギオ-幸夫さんが」ですから。
個別ケースに関する問と答
一般論や概括的・思弁的な話になってしまうと、それは郡司さんと同じ土俵にのぼることになって、どうせ結論なんて出ないでしょう。数学的にウヤムヤな議論をしていては、郡司さんのマヤカシがちっとも明らかにならない。重箱の隅をつつくようであっても、扱いやすい小さな個別ケースを切り出して、順番にハッキリと決着を付けていくべきです。それを表現したのが、「具体的に具体的に具体的に具体的に」なるフレーズです。4回繰り返す程に強調したい。
今まで僕は、2つの記事で具体的な個別ケースを扱いました。
- 「余極限の定義とか性質とか、ペギオ版を修正」 -- カン拡張の説明が、ケアレスミスとかではなくて、無理解から間違っていること。
- 「圏論とはいわず、数理論理学の切り口でいってみようか>郡司ペギオ-幸夫さん」 -- 代数系と数理論理学の初歩も知らないらしいこと。
これらに関連して僕が疑問に思うことは:
- ここで、なんでカン拡張の説明をしなくてはいけないのか? 後で使っている様子がない(使ってるフリをしているようではあるが)。
- 単位元を付加するだけの話に、なんで「無矛盾な形式的体系」とか「可能世界」が登場するのか?
この問に対する僕の答は:
- コケオドシ/かっこつけに入れてはみたが、すべってしまった。
- 意味はわからないけど使ってみたいから使ったら、トンチンカンになってしまった。
「そうではない」ということであれば、いったいいかなる数理的意味があるのでしょう? いやっ、数理的云々の前に、前後の脈絡としての一貫性も欠けているもんで、ほんとに疑問なんです。
上記の2つの記事と同じスタイルで、郡司さんの1つの段落につき1つのエントリーを使っての指摘なら、当分続けられるだけのネタはあります。問題は、そんな不毛な作業を続けられるかです。それだけのモチベーションはないからねぇ。たぶん、郡司さんを批判する上での困難は、この虚しさ/徒労感でしょう*1。誰かが合いの手(反論)を入れてくれたら、少しは気力が上向くかも。
不公平だとは思います、すみません
内心、若干は「申し訳ないな」という気もしています。人を批判するのが悪いとはまったく思いませんが、僕と郡司さんの立場を考えると、随分と不公平だな、とは思うのです。
他人のことをデタラメだと言い切るには、それ相応の覚悟が必要です。自分のほうが間違っていたときは赤っ恥をかきますからね。でも僕の場合、万が一自分が間違っていても、失うものはたいしてありません。一方の郡司さんは、そういうわけにはいきません。つまり、リスクやダメージが全然違う。その意味で僕は、ずっと有利な立場にいます。
でもやっぱり、「不公平だから批判はしない」ということにはならないのですよね。なぜなら、郡司さんは批判されてもしょうがないことを現にやらかしていて、それは僕の基準では(bonotakeさんよりはユルイと思うけど)放置できないレベルだからです。ただし、「あれはネタでした」ってことであれば、大笑いした後で拍手します。
郡司さんご自身は立場があるからともかくとして、学生さん、信奉者、ファンの皆さんなら、いくらでも僕に反論できるでしょう。引き続きお待ちしております、合いの手を(愛の手でもいいけど)。
[追記 date="2010-02-09"]
問題は、そんな不毛な作業を続けられるかです。
あまりにもツマラナイ概念なので、わざわざ書くほどの気力がなかなか湧かないです。
あっ、ちょっといいアイディアが思い浮かんだぞ。そのうちやってみよう、今日はやらないけど。
[/追記]
*1:郡司さん独自のLidとINVって概念も僕なりに解釈してはみたのですけど、あまりにもツマラナイ概念なので、わざわざ書くほどの気力がなかなか湧かないです。