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参照用 記事

関手データモデル入門 4:ためらってしまう心を取り除く

これは「関手データモデル入門」シリーズなんですが、なんだか道徳の訓話みたいなタイトル。なんだこりゃ? まー、ちょっと訓話っぽいかもね、心の持ち方みたいな話だから。「関手データモデルからの教訓とノウハウ」と多少かぶってます。


今年1月に、「デイヴィッド・スピヴァックはデータベース界の革命児か -- 関手的データモデル」というタイトルのエントリーを書いたわけですが、僕の評価では、スピヴァックは疑問の余地なく革命児です。データベースだけでなく、ITと計算科学に対して革命的な発見をしたと思います。

ある程度の圏論の知識を持っていれば、スピヴァック理論に対して次のような感想を抱くかもしれません; 「これくらいなら俺だって思い付いたかもな」「なんで今まで誰も考えなかったんだろう?」。スピヴァックの発想は奇抜でも複雑でもないので、そう感じるのは当然です。しかし:

この単純(過ぎる)解釈を見いだすのは容易なことではないでしょう。その意味で、スピヴァックの解釈は大発見です。

スピヴァック以外の誰かが何年(何十年)も前に発見していても不思議はないのですが、歴史的事実として、ごく最近までは誰も見いだせなかった現象と解釈があり*1、その発見者はスピヴァックなのです。スピヴァックの発見を「革命」と呼ぶに値すると思う根拠は、それがやたらに単純で基本的だからです。それゆえに、適用できる範囲は広大で、適用のバリエーションも豊富でしょう。

関手データモデルは、データベースの諸概念を、圏・関手・自然変換だけで説明します。「だけ」というところが重要です。圏論のあらゆる道具が、データベース理論に応用できる可能性があります(実際にうまく応用できるかどうかはケースバイケース)。道具を使うにあたっての制限や障害はありません。ためらう必要はない、リミッターなしフルスロットルで使ってみればいいのです。

スピヴァックと関手データモデルに出会うだいぶ前、2011年11月に、僕はメモ編に「もっともっとカテゴリカルに」という短いエントリーを書きました。一段落だけ引用すると:

なんというか、ある種の遠慮、躊躇<ためら>い、照れ、とかがあるような気がする。「ここはまー、圏論持ちださなくてもいいだろう」「なにもそこまでやんなくても」みたいな感覚。これがイカンのだと思う。自主規制する必要はない。もっと徹底的にガッツンガッツンに使うべきだろう、と最近思った。

僕に限らず、こういうためらいを抱くケンロニスト(bonotakeさん用語から拝借)*2はいるじゃなかろうか、と思います。無意識にブレーキかけてしまう。スピヴァック理論というよりスピヴァック自身の行為から学べることは、ためらってしまう心を取り除いて進むことでしょう。(なかなかに難しいですが。)

最近僕は、導来圏/導来関手、ホモトピー・カン拡張など、自分とは何の縁も接点もないと思っていた概念が、実務上も使えるんじゃなかろうか、という気分がしてます。気分のままで終わらせないためには、そう、ためらわないで使ってみることですね。

*1:フレイド(Peter Freyd)あたりは、かなり肉薄していた感じですが。

*2:「ケンロニスト」への参照