久しぶりに幾何っぽい話。「ベクトルバンドルの共変微分の空間はアフィン空間になる」ということは過去に何度か言っているのですが、系統的に語ったことはありません。この記事で、アフィン空間としての共変微分の空間をちゃんと定義してみます。
内容:
- 記法の約束
- アフィン写像の導入
- 可換環上のアフィン空間の圏
- 付点アフィン空間とアフィン写像のバイアス部
- アフィン空間としての共変微分の空間:準備
- アフィン空間としての共変微分の空間:定義
- CovDer関手:準備
- CovDer関手:共変微分の前送り
- CovDer関手:アフィン写像であること
- CovDer関手:関手性
- 接続形式と接続の変換
記法の約束
この記事で出現するベクトル空間はすべて実数体 上のベクトル空間なので、係数体の指定は省略します。例えば、 は実数体上のベクトル空間の圏です。 以外に出てくる圏は:
可換環上の加群は左加群として、左からのスカラー倍は単に併置で表します。-加群のあいだの-線形写像の集合 (圏のホムセット)を とも書きます。下付きの環や体は省略するときがあります。
可換環(体も含む) に関するテンソル積は と書きますが、下付きの環や体は省略するときがあります。
アフィン写像の導入
中学校で習った一次関数 は、次のように書けます。
域・余域の次元を一般化した は次のようになります。
この形で記述できる写像をアフィン線形写像〈affine linear {map | function}〉、あるいは単にアフィン写像〈affine {map | function}〉と呼びます。
線形写像 を の線形部〈linear part〉、定数ベクトル を のバイアス部〈bias part〉と呼びます*1。
の線形部とバイアス部をそれぞれ次のように書くことにします。
が2つのアフィン写像のとき、次が成立します。
が可逆のときは、次が成立します。
これらの等式は計算ですぐ示せます。
以下で、この節で述べたことを一般化します。
可換環上のアフィン空間の圏
アフィン空間は、通常は実数体 上で定義しますが、ここでは可換環 をベースに定義します。体でも可換環でも大差ないです。 とか (多様体上のなめらかな関数の可換環)のときでも通用する議論をします。
ベクトル空間/加群とアフィン空間はほぼ同じ構造物ですが、アフィン空間には特定された原点〈ゼロ | 基準点〉はありません。アフィン空間に付随したベクトル空間/加群が、点の空間に平行移動として作用します。
可換環 上のアフィン空間〈affine space〉は、次の構成素〈constituents〉からなります。
- 台集合〈underlying set〉 は、集合。
- 平行移動加群〈module of parallel translations〉 は、-加群( が体ならベクトル空間)。
- 右作用〈right action〉 は、下に述べる公理を満たす写像。
右作用は、アーベル群としての の、台集合 への作用で、次を満たします。
- 結合律:
- 単位律:
他に次も成立するとします。
- 可逆性: は可逆。
右作用を中置演算子記号 で書くことにします。また、中置演算子記号 は、以下の可換図式から定義される写像を表します。図式内の は、可逆性の公理から存在が保証される逆写像です。
中置演算子記号を使ってアフィン空間の公理を再度述べると:
中置演算子記号 はアフィン空間によらずにオーバーロード〈多義的使用〉します。
が可換環 上のアフィン空間のとき、写像のペア がアフィン写像〈affine {map | function}〉 だとは:
- 下の図式が可換。
図式の可換性を等式で表せば:
をアフィン写像 の台写像〈underlying map〉、 をアフィン写像 の線形部〈linear part〉と呼びます。
可換環 を固定して、上のアフィン空間とアフィン写像の全体は圏をなすので、それを と書きます。アフィン空間 の平行移動加群 を線形部〈linear part〉とも呼び、 とも書きます。アフィン写像 の線形部 も、 とも書きます。
は次のような関手となります。
また、アフィン空間 の台集合を 、アフィン写像 の台写像を と書くと、 は次のような関手(忘却関手)となります。
付点アフィン空間とアフィン写像のバイアス部
可換環 上のアフィン空間 の台集合 に一点 を指定した構造 を付点アフィン空間〈pointed affine space〉と呼びます。指定した一点 を基点〈base point〉と呼びます。付点アフィン空間のあいだのアフィン写像は、基点は無視した単なるアフィン写像だとします。
付点アフィン空間〈基点付きアフィン空間〉とアフィン写像の全体は圏をなすので、その圏を とします。上に述べたアフィン写像の定義から、次が成立します。
のとき、付点アフィン空間のあいだのアフィン写像 のバイアス部〈bias part〉を次のように定義します。
バイアス部は、アフィン空間 の(したがって付点アフィン空間 の)線形部〈平行移動加群〉の要素です。バイアス部は、基点がないと定義できないことに注意してください。
バイアス部の定義から次の等式が成立します。
を使って、アフィン写像の台写像 の標準表示〈canonical presentation〉が得られます。
これは次の計算から分かります。
この標準表示は一意的なので、線形部とバイアス部への分解は次の同型(集合のあいだの双射)になります -- その証明は必要ですが、標準表示からほぼ自明です。
付点アフィン空間〈基点付きアフィン空間〉の基点を表すために、定数記号 を付点アフィン空間によらずにオーバーロード〈多義的使用〉すると便利です。次のように簡略に書けます。
付点アフィン空間/アフィン写像の定義とアフィン写像の標準表示を使えば、「アフィン写像の導入」で出した公式が証明できます。
が(付点アフィン空間のあいだの)2つのアフィン写像のとき、次が成立します。
が可逆のときは、次が成立します。
この節で述べたことを別な言い方で表すと; 付点アフィン空間の圏 は、次のような圏 と同型です。
アフィン空間としての共変微分の空間:準備
なめらかな多様体 を選んで固定します。これから、なめらかな関数の可換環 を係数環とする加群やアフィン空間を考えます。
を底空間とするベクトルバンドルの圏を とします。 上のベクトルバンドル のあいだのベクトルバンドル射は、底空間 を動かさないものを考えます。つまり、次の図式を可換にする がベクトルバンドル射です。
ベクトルバンドル に対して、 上の共変微分〈covariant derivative〉の全体を とします。下線が引いてあるのは、記号“ ”は後で“-付点アフィン空間”の意味で使いたいからです。下線付きの は単なる集合です。
集合 に -アフィン空間の構造を与えるには、平行移動加群(アフィン空間の線形部)と右作用を追加定義する必要があります。平行移動加群は次の加群です。
ここで:
これらの加群を係数環 に関してテンソル積したものが平行移動加群です。毎回書くには長いので、平行移動加群を と略記することにします。ベクトルバンドルと -加群の関係から、平行移動加群 はベクトルバンドル に値を持つ1次微分形式の加群と言えます。よって、平行移動加群の要素を平行移動形式とか差形式(共変微分の差) と呼んでもいいでしょう。
平行移動加群 による右作用を定義する前に、適用〈application〉演算を定義しておきす。適用を中置演算子記号 で表すとして:
まず、 の生成元は次の形をしていることを注意します。
したがって、生成元 と に対して を定義すれば十分です。その定義は:
ここで、 は標準的な双対ペアリングです。
は に関して双線形写像になるので、次のような線形写像とみなしてもかまいません。
もうひとつ、次の同型にも注目しましょう。
これは次のパターンの同型の事例〈インスタンス〉です。
加群射の全体からなる集合(ホムセット)は、テンソル積で構成される加群と集合として同型です。 に自然な加群構造を入れれば、加群としても と同型です。
の逆写像を とすると、先に定義した適用 は次のように書けます。
アフィン空間としての共変微分の空間:定義
前節で、共変微分の集合、平行移動加群(になる予定の加群)、適用演算、加群射とある種の1次微分形式の相互変換を準備しました。
- 集合
- -加群
- 適用演算
- 変換
- 逆変換
これらを使って -アフィン空間 を定義しましょう。右作用 の定義が必要です。セクションに作用する作用素への引数渡し〈argument passing〉括弧はブラケットも使うとして、次のように定義します。
も直接的に定義してしまいましょう。
この定義に対して、次のことを示す必要があります。
これらは、共変微分の定義(ライプニッツ法則)と加群の計算から出ます。
以上のことから次が言えます。
CovDer関手:準備
ベクトルバンドル と特定された共変微分 の組 を共変微分付きベクトルバンドル〈vector bundle with covariant derivative | covariant derivative-equipped vector bundle〉と呼ぶことにします。
圏 を次のように定義します。
任意のベクトルバンドル に対して、前節で定義したアフィン空間 が定義できます。共変微分付きベクトルバンドルでは、特定された共変微分 があるので、付点アフィン空間 が作れます。したがって、 は という対応になります。
次のように書くことにします。
は付点アフィン空間〈基点付きアフィン空間〉に対して定義されますが、基点を意識しないときは と書いてもいいとします。これは、一時的に基点なしのアフィン空間を考えていると解釈しても、基点はあるのだが省略していると解釈しても、どっちでもいいです。同様に、 と書いたときも、基点を一時的に忘れているか省略していると解釈します。
対象のあいだの対応 を関手に拡張するために、ベクトルバンドル同型射(圏 の射) に対して、アフィン写像 を定義しましょう。アフィン写像は2つの写像のペア でした。
今までテンソル積記号は、係数環も書いて としてきましたが、面倒で煩雑なので、単に と略記することも許します。
まず台写像 の定義:
は、次の図式が可換になるような写像です。
可換性が成立する圏が になっているのは、微分作用素が-加群射ではないからです。しかし、 は-加群射です。
の定義内で逆射 を使っているので、 の可逆性は必要です。
次に線形部 の定義:
ここで、 は、-加群射 の双対加群射です。ここでも、逆射 を使っています。
上記の定義が正当〈well-defined〉であるためには次が必要です。
また、 がアフィン写像であるためには次の等式が必要です。
これらのなかで、次の命題は自明ではないので節を改めて扱います。
CovDer関手:共変微分の前送り
記法を簡略化するために次のように略記することにします。 は可逆ベクトルバンドル射です。
すると:
さて、次の命題を示しましょう。
作用素 が実数係数線形になることは容易に分かるので、ライプニッツ法則を確認します。ライプニッツ法則は:
次のように計算します。
これで、任意の共変微分 を、ベクトルバンドル同型射 に沿って前送りした共変微分 が作れることが分かりました。
CovDer関手:アフィン写像であること
ベクトルバンドル同型射 に対する がアフィン写像であることを主張する命題を詳細化して再掲すると:
次のように計算します。
補題が出来たので、 がアフィン写像であることを次の計算で示します。
補題により左辺と右辺は等しくなります。
CovDer関手:関手性
以上で、次のような対応が定義できました。
この対応が関手であるためには次の性質が要求されます。
恒等射が恒等射に移ることは簡単に確認できるので、次の命題を示しましょう。
一番目の等式を計算します。
ニ番目の等式を計算します。
これで が関手であることが示せました。次のように書けます。
接続形式と接続の変換
歴史的な経緯から、ベクトルバンドルの共変微分を“接続〈connection〉”とも呼びます。「接続」は多義語なので、紛らわしいときは線形接続〈linear connection〉とかコジュール接続〈Koszul connection〉と呼びます。共変微分付きベクトルバンドル〈covariant derivative-equipped vector bundle〉のことも、接続/線形接続/コジュール接続と呼ぶことがあります(あー、ややこしい)。
が共変微分付きベクトルバンドル、つまり圏 の対象のとき、共変微分を“点”とする付点アフィン空間 を接続の空間〈space of connections〉とも呼びます。接続の空間の基点 を基準接続〈base connection〉と呼ぶことにしましょう。
任意の接続〈共変微分〉 に対して、基準接続からの隔たり〈オフセット〉 をその接続の接続形式〈connection form〉と呼びます。定義より、接続〈共変微分〉の接続形式はアフィン空間の平行移動加群 の要素です。基準接続が固定されている状況では、「接続〈共変微分〉 ←→ 接続の接続形式」の対応は1:1になります。
ベクトルバンドルの同型射、つまり圏 の射 があると、付点アフィン空間のあいだのアフィン同型写像が誘導されます。
このアフィン同型写像 を、 による接続の変換〈transformation of connections〉と呼ぶことにします。接続の変換はアフィン写像なので、線形部とバイアス部を使った標準表示があります。
接続 の接続形式を と書くことにすると、アフィン写像の標準表示から次の等式が出ます。
これが接続形式(平行移動によるオフセット)の変換公式を与えます。
変換前の接続形式、変換された接続の接続形式、変換のバイアス部は似てますが別なものです。アフィン変換の幾何的イメージからは、この三者の関係は明らかです。接続の空間/接続形式/接続の変換を扱う際には、アフィン空間/平行移動/アフィン変換の構造を念頭に置くと混乱を避けられます。
*1:「バイアス」は、線形回帰で使われる言葉です。