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参照用 記事

その3:テクノロジーの祝祭の後で


XMLへの招待」の第20回記事が出てきたのは偶発的で、他の目的で古いディスクをあさっていたのです。そしたら:

-r--r--r-- 1 hiyama Administrators   486 Mar 23  2000 xml-mem.txt
-r--r--r-- 1 hiyama Administrators 14206 Dec 23 1999 xml020.txt
-r--r--r-- 1 hiyama Administrators 17513 Feb 1 2000 xml021.txt
-r--r--r-- 1 hiyama Administrators 2031 Jan 26 2000 xml021c.txt
-r--r--r-- 1 hiyama Administrators 15595 Feb 22 2000 xml022.txt
-r--r--r-- 1 hiyama Administrators 2416 Mar 9 2000 xml022c.txt
-r--r--r-- 1 hiyama Administrators 387 Feb 22 2000 xml023.txt

第20回から第23回まで残っていました。タイムスタンプは1999年から2000年です。第23回(最終回)は書きかけのメモで、完成した原稿は第20回、第21回、第22回の3回分です。

第20回の話題に「XML開発者の日」が含まれていたので、僕は樋浦さんのことも書いてあるだろう、と思いました。が、この回では樋浦さんには言及されていません。このとき小林龍生さんとコンビを組んでの登壇は川俣晶さんだったのですね。しかし、2001年4月に書かれた小林さんの次の記事からうかがえるように、1999年には樋浦さんを交えたグループが形成されていました。

樋浦、小林、村田、檜山の対談(放談)は今でもWebに残っているようです。

この対談の時期は1998年の春のころ。

XMLへの招待」を今読み返すと、高揚した語り口が気恥ずかしい気もします。でも、この高揚感は僕だけのものではありませんでした。XMLUnicodeへの夢と期待の高まりは、世間から見ればコップの中の嵐だったのかも知れないけれど、コミュニティというかムーブメントというか、参加していた当事者達はテクノロジーの祝祭空間のなかにいて、誰もが少し上ずっていたのです。「XMLフェスタ」は僕のネーミングです。フェスタ(祭り、祝祭)は3日間のイベントの意味だけではなく、この前後数年を象徴する言葉だった気がします。

小林さんは、単なるノスタルジーは語りたくない、とおっしゃってました。忘れっぽい僕は、こんな「キッカケ」でもなければ、2000年前後の事なんて、ノスタルジーとしてさえ思い起こさなかったでしょう。「キッカケ」とは、古いディスクから古いファイルが出てきたこと、そして樋浦さんのことです。実際に昔の記憶がよみがえると、単純に懐かしさに浸れるわけもなく、かといって教訓や展望を引き出すことも出来ず。僕の意思とは無関係に、脳内に勝手に写し出されるあの頃の映像に、僕は戸惑います。

いったい僕たちは何をしたのだろう。お祭りに浮かれただけ? いや、そんなことはないとは思うけど、10余年の総括は纏まりそうにありません。

読み返すと、なんだこの記事は、センチメンタル過ぎる。それは分かってます。

樋浦さんがなくなった後で、小林龍生さんから「XML開発者の日」と上に引用した「放談」の話が出ました。そして、「あの頃はよかった」みたいなことは言いたくないよね、とも。しかし、そんなときに「月刊アスキー」の原稿が掘り起こされるとはどういうことでしょう? 偶然です、何の因果もありません。理性はそう判断します。でもやっぱり、ノスタルジックにセンチメンタルになってしまうのですよ。

[追記] これは僕の気分そのまま。

祭りのあと by uchitama :

歌詞は次にあります。

[/追記]