昨日の記事「圏論的線形代数をもう少し: 自由ベクトル空間の圏」では、忘却関手という概念を使っています。昨日の記事での「忘却関手」は、ベクトル空間に台集合を対応させるものでしたが、他に次のような例もあります。
忘却関手は何かを忘れる(捨て去る)のですが、「何をどの程度忘れるか?」により様々な種類があります。一般的な忘却関手という概念を抽象的に定義するのは難しいですね。ケースバイケースで扱うしかないのかも知れません*1。
昨日の記事の忘却関手 Und:Vect → Set に話を限定しても、分かりにくいところはあります。ベクトル空間Vに対して Und(V) は台集合、線形写像 f:V → W に対して Und(f) は台写像です。んっ? 台写像って何?
台集合の場合、その上に追加の素材(演算、特別な要素、関係など)を載せて構造を作ります。台写像の場合、その上に ‥‥ 何か載せている? 線形写像とその台写像って違いがないのでは?
f∈Vect(V, W) と Und(f)∈Set(Und(V), Und(W)) があるとき、f と Und(f) の実体は同じです。モノとして同じでも、所属する圏が違えば区別します。もともとの f は「Vectの住人である」という住民票を持っていたのですが、Und(f) となるときにVectの住民票を捨てているのです。
住民票以外にも、世の中には証書〈certificate〉と呼ばれるものが色々あります。製品に付いている保証書/建築物の検査済証/宝石の鑑別書/ダイヤモンドの鑑定書〈ダイヤモンド・グレーディング・レポート〉/ペットの血統証明書とか。線形写像には、「この写像は確かに線形である」という証書がくっ付いていると思ってください。証書が付いていることが、すなわちVectの射であることです。
線形性の証書を持った f が忘却関手 Und により証書を剥ぎ取られて Und(f) になります。注意すべきは、証書を剥ぎ取られることにより「f が線形である」という事実は変わらないことです。例えば、ダイヤモンドの鑑定書を紛失したら、その物体がダイヤモンドでなくなるのか? ダイヤモンドはダイヤモンドでしょ。しかし、ガラス玉とダイヤモンドの区別が付かないシロウトに「これはダイヤモンドだぜ」と主張する根拠を失います。が、物体がほんとにダイアモンドであるなら、検査して鑑定書を再発行してもらえば、再び鑑定書付きダイアモンドになります。
比喩的に「検査して鑑定書を発行する」と言った行為は、数学では証明をして命題を確認する行為になります。ベクトル空間であれ線形写像であれ、それがそう呼ばれるための条件(公理としての命題)があります。条件を満たすことはどこかで証明されているはずです*2。証明されてないなら、圏Vectの対象/射とは呼べませんから。
「条件が証明されていること」だと何か漠然としてるので、「証書」と言いかえると物体的となり(心理的には)分かりやすくなります。線形写像fが忘却関手によって何を忘却したのかというと、fに付随していた「線型性証書」を忘却〈破棄〉したのです。
いま g∈Set(Und(V), Und(W)) が与えられたとして、「gは線形である」には意味があります*3。忘却関手 Und による像 Und(Vect(V, W)) は Set(Und(V), Und(W)) の部分集合として確定しています。この部分集合を利用すれば「gは線形である」は次のように書けます。
- gは線形である ⇔ g∈Und(Vect(V, W)) ここで、Und(Vect(V, W)) ⊆ Set(Und(V), Und(W))
あるいは、
- Und(f) = g となる f:V → W in Vect が存在する。
写像としてgとfは同じなので、V, W の線形構造をもとに写像gの線形性が証明できれば「gは線形である」と言えたことになります。gに線形性証書をくっ付けてあげれば、Vectの射としての資格を獲得したことになります。
「条件が証明されていること」「要求される性質が満たされていること」の証書も構造の一部と考えると、忘却関手が幾分かは理解しやすくなると思います*4。