このブログの更新は Twitterアカウント @m_hiyama で通知されます。
Follow @m_hiyama

メールでのご連絡は hiyama{at}chimaira{dot}org まで。

はじめてのメールはスパムと判定されることがあります。最初は、信頼されているドメインから差し障りのない文面を送っていただけると、スパムと判定されにくいと思います。

参照用 記事

マルコフ圏の一族

ひと月ほど前(6月初旬)にマルコフ圏を知って以来、いくつかのブログエントリーを書きました。

「マルコフ圏って、いいんじゃないのコレ」にて:

フリッツのネーミングは戦略的で、公理化のセンスも素晴らしいです。公理系が強過ぎないように、つまり適用範囲が狭くならないように注意深く設計されています。
...[snip]...
マルコフ圏の公理系が適度に弱いことから、確率論とは無関係なところにもマルコフ圏論を適用できそうです。

フリッツ〈Tobias Fritz〉によって命名された(概念は以前からある)マルコフ圏は、圏論的確率論の基礎としての役割を持ちますが、公理系自体に確率概念が入っているわけではなく、広い範囲に適用可能です。マルコフ圏の公理系を弱くしたり、公理を追加して条件を強くしたりすると、様々なマルコフ圏の変種が作れます。これらの変種達まで含めたマルコフ圏一族を考えると、さらに応用が拡がります。

マルコフ圏が応用できそうな分野には、データベース理論、形式言語理論、オートマトン理論、プログラム意味論などがあります。これらはたまたま僕が少し知っている分野で、他にも物理や工学などに応用可能ではないかと思います。

内容:

準マルコフ圏

マルコフ圏Cの定義は次のとおりです。

  1. Cは対称モノイド圏である。
  2. Cは半デカルト圏〈semiCartesian category〉である。
  3. Cは余可換コモノイド・モダリティを備えている。

モノイド圏が半デカルトであるとは、モノイド単位対象が終対象になっていることです。余可換コモノイド・モダリティが在ることを前提に、半デカルト性は次のように言い換えられます。

  • 余可換コモノイド・モダリティの余単位割り当ては自然変換になっている。

この条件を「余単位の自然性」といいます。

マルコフ圏の公理系から“半デカルト性=余単位の自然性”を取り除いた公理系を満たす圏を準マルコフ圏〈quasi-Markov category〉と呼ぶことにしましょう。

なぜ公理系を弱めるかというと、例えば関係の圏Relが半デカルトにならないからです。確率に関係する圏でも、確率測度とは限らない有界測度〈有限測度〉まで含めたジリィ型モナドのクライスリ圏は半デカルト性を持ちません。基底を指定した有限次元ベクトル空間(テンソル積がモノイド積)も半デカルトではありません。これらの圏はすべて準マルコフ圏なのです。

準マルコフ圏という概念が必要だと思われる幾つかの状況証拠があります。まず、余可換コモノイド・モダリティを備えた対称モノイド圏Cを考えた場合、次が成立します。

  1. Cの余可換コモノイド・モダリティの余単位割り当てが自然変換になっていれば、Cは(定義より)マルコフ圏である。
  2. Cの余可換コモノイド・モダリティの余単位割り当てと余乗法割り当てが自然変換になっていれば、Cデカルト圏である。

余可換コモノイド・モダリティを備えた対称モノイド圏の文脈では、準マルコフ圏 → マルコフ圏 → デカルト圏 という系列が自然に現れるのです。

1999年の論文でセリンガーは、対角付きモノイド圏〈monoidal category with diagonals〉という概念を導入しています。

セリンガーの対角付きモノイド圏は準マルコフ圏と同じものです。対角とはコモノイドの余乗法のことです。Cのコモノイド余単位とコモノイド余乗法を使って、セリンガーはコピー可能射〈copyable morphism〉と破棄可能射〈discardable morphism〉を定義しました。Cのコピー可能射の全体も破棄可能射の全体もCの部分圏となりますが、次が成立します。

  • Cの破棄可能射からなる部分圏はマルコフ圏である。
  • Cの破棄可能かつコピー可能な射からなる部分圏はデカルト圏である。

セリンガーは20世紀(ギリギリですが)に準マルコフ圏を調べていたのですが、これは確率とは関係ありません。プログラム理論の話です。

やはりプログラム理論を話題にした、デュマ/デュヴァル/レノの論文があります。

  • Title: Cartesian effect categories are Freyd-categories
  • Authors: Jean-Guillaume Dumas, Dominique Duval, Jean-Claude Reynaud
  • Pages: 23p
  • URL: https://arxiv.org/abs/0903.3311

これについてはこのブログで話題にしたことがあります。

デュマ/デュヴァル/レノ論文に出てくる、純終対象〈pure terminal object〉、純終射〈pure terminal morphism〉(純終対象への唯一の純射)、無作用射〈effect-free morphism〉などは、準マルコフ圏〈対角付きモノイド圏〉の単位対象、準終射(セリンガーは弱終射と呼んでます)、破棄可能射と極めて類似しています。

余可換コモノイド・モダリティを持った圏、つまり準マルコフ圏は、計算とプログラムの記述と分析においても役に立ちそうです。

様々な装備圏

マルコフ圏の定義の一部に「余可換コモノイド・モダリティ」という言葉を使っています。「(圏論的な)モダリティ」はちらほら使われる言葉です。次の記事で触れています。

フォングとスピヴァックは、モダリティ概念の一部に対して非常にスッキリした定義を与えています。

フォング/スピヴァックは、モダリティではなくて "supply" という新しい言葉を使っています。「供給」はピンとこないので、「装備」と呼ぶことにします。プロアロー装備〈proarrow equippment | 2-category equipped with proarrows〉を単に装備〈equippment〉と呼ぶと衝突しますが、まーいいとしましょう。

適当な代数系(例えば余可換コモノイド)の装備〈supply〉を持ったモノイド圏を装備圏〈supplied category〉と呼びましょう。余可換コモノイド装備圏は、準マルコフ圏に他なりません。装備は自然変換とは限りませんが、余可換コモノイド装備が自然変換で与えられる装備圏がデカルト圏〈デカルト・モノイド圏〉です。

モノイド圏に装備される代数系には次のようなものが考えられます。

  1. 余可換コモノイド
  2. 可換モノイド
  3. 双可換双モノイド
  4. 可換フロベニウス・モノイド
  5. 特殊可換フロベニウス・モノイド

装備圏や装備の自然性条件を加えた圏には、既に知られた圏もあります。

  1. 準マルコフ圏 = 余可換コモノイド装備圏
  2. マルコフ圏 = 余可換コモノイド装備圏+余単位自然性
  3. デカルト圏 = 余可換コモノイド装備圏+余単位自然性+余乗法自然性
  4. 準余マルコフ圏 = 可換モノイド装備圏
  5. 余マルコフ圏 = 可換モノイド装備圏+単位自然性
  6. デカルト圏 = 可換モノイド装備圏+単位自然性+乗法自然性
  7. ハイパーグラフ圏 = 特殊可換フロベニウス・モノイド装備圏

ハイパーグラフ圏については、同じ二人組フォング/スピヴァックの次の論文を見てください。

基底を持ったベクトル空間達の圏もなんらかの装備圏のように思えます。

正則論理〈regular logic〉と対応する圏に対して装備を利用した話があります。これもフォング/スピヴァック

  • Title: Regular and relational categories: Revisiting 'Cartesian bicategories I'
  • Authors: Brendan Fong, David I Spivak
  • Pages: 31p
  • URL: https://arxiv.org/abs/1909.00069

レレバンス論理〈{relevance | relevant} logic〉と対応する圏にも装備を利用できないでしょうか?

装備を持った対称モノイド圏は、マルコフ圏の一族と言っていいでしょう。装備以外の構造としては、豊饒化〈enrichment〉、コンパクト閉構造〈コンパクト構造〉、ダガー構造などを混ぜることがあります。確率に由来する追加の公理としては、条件化可能公理〈conditionalizable axiom | 条件化可能性〉、反転可能公理〈convertible axiom | 反転可能性〉など*1があります。

マルコフ圏の一族、つまり装備を持った対称モノイド圏達は、けっこう大きな部族になるようです。

*1:条件化可能性/反転可能性は、通常ベイズの定理と呼ばれるものです。どこまでがベイズの定理なのかハッキリしないので、2つの命題に分けました。